住吉神社

月刊 「すみよし」

『「ケネディ神話」の復活か』
風呂鞏

昨年九月、アルゼンチン・ブエノスアイレスでの第百二十五次IOC総会で「二〇二〇年オリンピック・パラリンピック東京開催」が決定した。前回の東京オリンピックから実に半世紀ぶり(正確には五十六年ぶり)の開催となることで国中が歓喜に湧いた。総会での日本人による英語・フランス語でのプレゼンテーションには誰しも感動したが、滝川クリステルさんのスピーチも俄然脚光を浴びた。その“お・も・て・な・し”が昨年十二月発表された「二〇一三ユーキャン新語・流行語大賞」で、年間大賞四つの中の一つに選ばれた。日本人のつつましやかな品性を象徴する言葉として、素直な気持ちで共に喜びたいと思う。

“高度経済成長の落し子”とも評され、高速道路の建設、新幹線も開通した一九六四年の東京オリンピックは、流行歌「東京五輪音頭」で沸騰した。国民の間には多種のスポーツへの関心が呼び覚まされ、日本人のスポーツ観は一変した。大松監督の「オレについてこい」が当時流行語になったことなど、ご記憶の方もあろう。

さて、東京オリンピック開催前年の一九六三年に、アメリカでは世界を震撼させる大事件が起こった。ジョン・F・ケネディ大統領(一九一七−六三)が十一月二十二日(金曜日)、テキサス州ダラスでパレード中に暗殺されたのである。「誰がケネディを殺(や)ったのか?」は、二〇世紀最大の謎であり、今日に至るも犯人の特定には至っていない。

第三十五代大統領ジョン・F・ケネディは、四十三歳という史上最年少で当選を果たし、アイルランド系カトリック教徒として最初の大統領であった。“ニューフロンティア政策”を掲げて民主党の大統領となったケネディは、今でも国民の七四パーセントが評価する超人気ぶりである。一九六一年一月二十日の大統領就任演説は、米国史上特に名高い。

「アメリカ国民の皆さん、皆さんの国が自分に何をしてくれるかではなく、自分が国のために何ができるかを問いましょう。そして世界の市民の皆さん、アメリカが自分に何をしてくれるのかではなく、我々が人間の自由のために何が出来るかを、一緒に問いましょう。」

格調高い名演説であるため、間もなく日本の高校英語教科書にもこの文言は採択された。言葉の持つ力強さとリズムに魅了された当時の高校生たちは我先にと原文を暗誦し、俄に英語の達人になったと錯覚したり、得意になったりしたものだった。

演説の冒頭部は更に重要だ。ケネディは、自由の祭典を祝う今こそ、自分達の先祖が約百七十五年前に定めた厳粛な誓いを想起するよう、強く国民に訴えたのである。

「人種のるつぼ」や「サラダボウル」にも例えられるアメリカ合衆国は一七七六年にイギリス本国から独立した。パトリック・ヘンリーの「我に自由を与えよ、さもなければ死を!」という叫びにあるように、アメリカの大義は何よりも先ず「自由」であった。

トマス・ジェファソンによる「独立宣言」は建国の理念として、すべての人々が平等に造られていること、そして生命、自由、幸福の追求という権利が与えられていること等を挙げている。(蛇足ではあるが、日本にはパトリック・ヘンリーに感化を受けた板垣退助のような人物もいるし、この独立宣言の理念が我が日本国憲法に大きく反映されていることは既に常識の範疇に属すると考える)

しかし有色人種には平等の権利が認められず、特に虐待されたのは先住民とアフリカ系の人々であった。奴隷制をめぐる南北の対立から、一八六一年、ついに南北戦争が勃発した。リンカーンは一八六三年奴隷解放宣言を発し、激戦地ゲティスバーグで「人民の、人民による、人民のための政府がこの地上から滅亡することが無いように」と有名な演説を行った。

一九五〇年代から六〇年代にかけて、アメリカは経済的に繁栄するものの、国内では人種対立が燻り続けていた。非暴力抵抗の指導者であったキング牧師は、一九六三年、「私には夢がある」という演説で平等な社会の実現を訴え、人々に大きな感動を与えた。彼の夢とは、「いつの日かこの国が“すべての人々は平等に造られている”という信条を本当に実現すること」であった。しかし彼も一九六八年四月、白人人種差別主義者の凶弾に倒れた。

キューバ危機など、ソ連との対立も深まり、核兵器戦争の恐怖におののく世界にあって、世界平和のために尽力したのがケネディ大統領であった。崇高な理想に燃え、それを若さと情熱を以って追求した。広く世界の人々の共感を呼んだその姿は忘れることが出来ない。

“Yes, we can.”で圧倒的な国民の支持を得たオバマ大統領を「ブラック・ケネディ」と評する声も聞かれる。就任に当たって、アメリカ建国の精神に言及しつつ、リンカーンやケネディを想わせる文言をスピーチに盛り込んだことは有名だ。

そのオバマ大統領の信任が厚いキャロライン・ケネディ氏が、昨年米国初の女性駐日大使として着任し、十一月十九日には、皇居で天皇陛下に信任状を奉呈した。同氏は故ケネディ大統領の長女ということで知名度が高く、今回の任命は米国内外で大きな注目を集めている。  

二〇一三年十一月二十二日はケネディ大統領が悲劇の死を遂げてから五十年目であった。現職大統領として初の訪日が叶わなかった父に代わり、大使として日本で迎える父の命日にはまた格別の思いがあったに違いない。

ケネディ大統領から贈られた鐘が今も東広島市の教会で鳴っている。三十五年前二十歳の大学生だったキャロラインさんは、叔父の故エドワード・ケネディ上院議員と広島の原爆資料館を訪れた。着任以来意欲的に福島や長崎を訪問した新大使。核廃絶への期待も高まる。被爆地への強い思いを懐くキャロラインさんの呼びかけで、今年八月の平和祈念式典には、是非オバマ大統領と共に出席して欲しいと願う人も多いはずだ。

新大使は中国の防空識別圏設定に関して直ちに日本重視の発言をした。外交手腕は未知数だが、“ケネディ神話”という遺産を継承するキャロライン大使の着任で、日本のみならず世界に平和の“輪”が拡がることを心底より祈る次第である。

午・馬・ウマの話
宮司 森脇宗彦

平成二十六年発巳歳の新春を迎え謹んで

皇室国家の弥栄と氏子崇敬者の皆様の

ご清福を衷心よりお祈り申し上げます。

『古事記』(七一二成立)は日本最古の書物。神々の物語が伝わっている。文献上の馬の初見は『古事記』であろう。神々の世界にも馬がいた。天斑馬(あめのぶちごま)である。

天照大御神が天の岩屋戸に籠られる原因をつくったのはスサノオノミコトである。

スサノオ命が高天原で乱暴狼藉をはたらくが、その中に天斑馬をサカハギ(逆剥)、尻の方から皮を剥いで、服屋(はたや)の棟に穴をあけて投げ入れたとある。服屋では天照大御神が神御衣(かんみそ)を織っていた。服屋にいた服織女(はとりめ)のホト(陰部)に桧(ひ)が刺って死亡したという。それを見て恐れ、天照大御神は、岩屋戸に刺し籠られたのである。天斑馬はおそらく農耕に欠かせないものであったとおもわれる。「逆剥(さかはぎ)」は古代の罪のひとつで、天津罪(天上での罪)に分類されており、おそらく農耕を阻害する行為とされていたのであろう。

高天原をさわがせたスサノオノミコトは、鬚、手足の爪を抜かれ、罪をつぐなわされて高天原を追放される。スサノオノミコトは出雲国の鳥髪に天降り、物語の舞台は出雲になり、八俣大蛇退治へと展開していく。

八千矛神(やちほこのかみ・大国主神の別名)が倭国に上らんとして御馬の鞍(くら)に手を、御鐙(みあぶみ)に足をかけて別れをする場面がある(『古事記』)。古代では馬は移動するのに貴重な動物であった。古墳などからも馬型の埴輪が出土し、生活に溶け込んでいたことが推察される。

馬は古代においては祭に重要な働きをする動物であった。馬がお供えでもあった。

農耕、米作りには、適度な雨が必要である。降雨の量によっては、稲の生長を阻害することにもなりかねない。雨が降り続くと止雨を、雨が降らないと降雨を願って人々は祈った。

古代にはこの止雨、降雨の雨乞いには、生きた馬が奉納された。雨と馬とは関連し、馬が農耕と関係が深かったことを物語っている。

黒馬(祈雨)、青馬・赤馬(止雨)が丹生川上神社(奈良)、貴船神社(京都)などに奉納されて雨乞いが行なわれていた記録がある。やがて、生きた馬から絵に画いた馬が奉納され、「絵馬」となった。絵柄は、馬から種々の絵になったのが、現在の「絵馬」である。

馬は貴重な動物でもあった。百済(くだら)の昭古王(しょうこおう)が雌雄の良馬二匹を貢上したことが、第十五代応神天皇の御世に見える(『古事記』)。

『日本書紀』には、ツキヨミノミコト(月夜見尊)がウケモチノカミ(保食神)を殺し、その頂に牛馬がなったと見える。食物の神を殺害した時に、牛と馬が誕生したという。つまり牛、馬を使って食物を生み出すということを示唆しているのかもしれない。『古事記』ではスサノオノミコトがオオゲツヒメ(大気津比売)を殺害したとなっている。そして、五穀の起源譚は同じだが、牛馬の誕生は記されていない。

馬に関する神事は、全国の神社で多く執り行われている。

春に白馬(あおうま)を見ると縁起がいいとされた。

正月の行事として、宮中では白馬節会(あおうまのせちえ)が行われていた。起源は明らかでないが、仁寿二年(八五二)が初見とされる(『文コ天皇実録』)。アオ馬は、春の予祝や邪気を払う霊力があるとされた。

この宮中の白馬節会にならって行われるようになったといわれるのが、正月七日に、住吉大社(大阪)で行われている「白馬神事(あおうましんじ)」である。一の御殿で祭事、祝詞奏上などの祭事が斎行され、白馬が社殿の周りを巡行するという神事である。

「馬は陽の獣類で、アオ馬の眼は碧眼であり、碧緑は春の気を湛えるから、正月七日にアオ馬を見れば年中邪気を除くという信仰が生じたのであろう。白馬をことさら「アオウマ」という理由も不明」という(『住吉大社』学生社)。

今年は干支では午である。午にあやかって飛躍したいものである。

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