住吉神社

月刊 「すみよし」

『梅のこころ』
照沼 好文 

二月を象徴(しょうちょう)する花は梅であり、そして、その梅は古来、東洋のこころ、またさくらと共に日本人のこころを象徴しているように思われてならない。嘗て作家、吉田絃二郎は、『山家日記』のなかで、梅について、つぎのように述べている。

誰が暗香(あんこう)と云う言葉を使い初めたかは知らないが、いい言葉である。東洋芸術の特長はたしかに梅のかすかなつつましやかな香りの如く、そのあるが如く、無きが如く、静かにして幽(かす)かに、くみつくせぬ味の深さにある。

東洋芸術の特徴を梅の香に托して述べていると同時に、梅の風趣をよく表現して味合いふかい言葉である。

こうした言葉を口誦するとき、いつも国文学者、久松潜一博士の随筆「二坪の庭」の一節が連想される。

梅の木が二本ある。一本は白梅で一本は紅梅である。私は歌舞伎の「野崎村」で農家の軒先に白梅と紅梅と咲いているのを美しいと見て好きであるが、家の庭の白梅も咲くころは美しい。紅梅は薄紅梅とも言えるがやや遅れて咲く。近世の万葉学者の契沖(けいちゅう)が「かりにても宿とてすまば梅の花まづ軒先近くうえんとぞ思ふ」と梅の歌をよんでいるのは我意を得た感がある。

久松博士が描いた風景は、嘗ての山村によく見られた日本の原風景であるが、博士はまた梅を愛して、つぎのように詠んでいる。

道真も 契沖もめでし 梅の花

ことしも咲きぬ 清くすがしく

※        ※

ところで、私の愛誦歌の一首に、明治の碩学 栗田寛博士が詠んだ梅の歌がある。

うぐひすのうこゑのかをりて聞ゆるは

花の心をなくにやあるらむ

この歌について私は『神道人の書』(『神社新報社』編、平成十年五月十日発行)に解説し、拙稿を掲載しているので、以下にその一文を掲げて参考に供したい。

「これは鶯、一名春告鳥の囀りは凡らく、早春に馥郁と開いた梅花の芳香を天下に告げているのだろう―との意で、栗里(栗田寛の号)晩年の作か。書には歌意を象徴するに適わしい品格と気概が漲っている。因みに、水戸出身の栗里は義公(光圀)や烈公(斉昭)そして、水戸の多くの先人達のように、梅花を愛した。梅は先人達の高説、練磨した精神生活を象徴する気品と志操とを備えているからである。特に、栗里には梅に関して「浪華梅記」の一文がある。昔、義公は文運の衰退を占はんと、彰考館の庭前に浪華梅を植えた。のちにその梅に消長はあったが、百年後の烈公時代には再び馥郁と余馨(よけい)を放ち、東藩の文学も義公の旧に復したと、栗里は梅に托して義烈二公の余光を景仰した。

雪と梅に象徴される幕末の水戸は、尊攘・討幕運動の拠点であったが、政治上の意見で二分された。当時、栗里は尊攘派のため兵馬の間を奔走し、尊い生命を維新創業に捧げた先輩、同志達の姿を間近に見て、後々までそれを追念した。かくて冒頭の「うぐひすの」の一首は明治開時の御代に、義烈二公をはじめ、多くの先人達の遺芳、即ち「花の心」を敬慕追念して止まなかった栗里の「梅花賦」に他ならぬ。

 

『瞼の八雲研究家たち』
風呂鞏

昨年末、筆者が敬愛して止まぬ、仙北谷晃一武蔵大学名誉教授が急逝された。悲嘆の極み言葉もない。思えば、ここ五、六年の間に信頼すべき八雲研究家を次々と失った。今回はそれらの中から、惜しみて余りある、不世出の八雲研究家三者を偲ぶこととしたい。

二十世紀末になって、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が多くの人々に読まれ始め、様々な問題を投げかけた。この驚くべき現象は「ハーン現象」と呼ばれたが、それに呼応するかの如くに、一九九〇年八月から九月にかけて、“八雲の郷”松江にて小泉八雲来日百年祭が開催された。この画期的なイベントの成果は計り知れず、今日のハーン研究の飛躍的な発展はここに出発点があると言っても過言ではない。その年の六月二十七日(ハーンの百四十回目の誕生日)には、早くも中国新聞紙上で、銭本健二島根大学教授(一九四三-二〇〇二、当時は八雲会々長)が「遊ぼう 八雲の世界―心の内なる旅味わって―」と題する、極めて示唆に富む文章を発表している。

小泉八雲来日百年祭の開催地である松江から、「八雲会」(注一)を代表して、中国地方を初め全国のハーン愛好者への呼びかけ・招待状であったが、そこには、なぜ今「ハーン現象」なのか、ハーンが我々に訴える魅力とは何なのか、に対する答が、納得の行く形で祥述されていたのである。

ハーンは明治二十三(一八九〇)年四月四日に来日した。当時の日本は新政府の下で憲法が定まり、教育の制度が整い、議会の発足を見て、近代国家への第一歩を踏み出した。また同じ年には、足尾銅山の鉱毒に侵された渡良瀬川の魚類が死滅し、田中正造の長い戦いも始まった。十四年後のハーンが死んだ明治三十七年は、日露戦争の始まった年であり、日本は軍事国家として、西欧に対峙するの止む無きに至った。

ハーンは帝国大学の教壇で十八世紀の末に書かれた英詩を講じながら、産業化によって荒廃する農村の姿を学生の前に描いて見せた。それはまさに当時の日本そのままであり、ハーンはそこから、日本の将来を見つめることの必要性を説いたのであった。

晩年の十四年間を、かかる明治の激動の時代に過ごしたハーンの穏やかなまなざしが、現代の“加速された時代”に生きる私達を惹きつけて止まないのである。ハーンは目の前の人々の日常生活を、小さな苦楽のままに受け取る愛の作家であった。ハーンの作品は、今日でさえも、外国からの来訪者にとり、日本文化への最良のガイドブックなのであるが、日本人にとっても、心の内なる旅の案内書と言えるのである。

以上の如く、銭本健二は「穏やかなまなざし」、「愛の作家」、「心の内なる旅の案内書」の三点がハーンの欠かせぬ魅力であることを、平易な語り口で教えてくれた。

広島県の東部・福山市が生んだ、日本有数の大英文学者と言えば、福原麟太郎がいる。中部大学名誉教授で、ハーン研究の第一人者として著名であった高木大幹(一九一六-二〇〇三)は、福原麟太郎の著書によって英文学およびハーン研究へと誘われた。

高木大幹の遺稿集とも言うべき『ハーンの面影』(東京図書出版会)には、九五年五月に焼津市立図書館で行われた小泉八雲顕彰会総会での記念講演「ハーンを慕って六十三年」を含む、すぐれた論考が採録されている。

ハーンの後を追って六十三年間、限りなきロマンを感じてきた研究家の講演だけあって、一言一句ずしりとした重みと、ハーンに対する並々ならぬ敬愛が感じられる。高木は終生「ハーンと想像力」について繰り返し語ってきた研究家の一人であるが、この講演では、「ハーンに流れる血液」、「独立独行の人ハーン」、「アニミズム(霊魂崇拝)」の三つにテーマを絞って、ハーンの魅力を論じている。

ハーンの“アニミズム”に関しては、『怪談』所収の名篇「青柳物語」に言及した際に、「場合によっては、盲目的な科学信仰は人類を、いや、生きとし生けるものすべてを滅亡の淵に追いやる日が来ないとは言えないのではないか」と、誠に鋭い口調で警告している。地球全体の環境破壊が大きく取上げられるようになった昨今、ハーンの先見性に着目し、彼の“アニミズム”にいみじくも言及した高木大幹の炯眼には脱帽せざるを得ない。

“想像力こそ進化の大原動力”という信念を懐き続けたハーンこそ天成の教師だった、と説く仙北谷晃一武蔵大学名誉教授(一九三三-二〇〇七)は、終生和服を愛し、古武士の面影が漂う、類い稀な学者であった。長年に亘り大学でハーンを取上げ、ハーン文学の柱に「母のイメージ」と「もののあわれ」を感ずる心があったことを指摘している。

ハーンについての論考・発表を纏めて、一冊の本とした『人生の教師ラフカディオ・ハーン』(恒文社)の「『神国日本』を読む」の中で、仙北谷晃一は、次のように語っている。神道のあり方について、これほど凛々しい発言をした御仁を寡聞にして知らない。

明治以降、昭和二十年の敗戦までの、いわゆる国家神道のあり方には、たしかにゆき過ぎもあった。それと何ほどか、かかわりのあることと思うが、今日の学校教育は、神道を故意に避けているかのように見える。キリスト教系の学校は数多くあるのに、神道系の学校は国学院大学と皇學館大学くらいのもので、この数は、仏教系の学校にくらべても、いちじるしく少ないのではなかろうか。あえて言挙げせず、こちたき論議を排するのが神道の心であるから、現状をもってよしとする見方も、あるいはあるかもしれない。しかし、初詣や受験の合格祈願や七五三の祝いだけが神道と私たちのかかわりようで、祝詞も『古事記』も本居宣長も、私たちの生活から抜け落ちているというのは、西洋人と聖書との関係に照らしてみても、明らかに均衡を欠いているのではなかろうか。

(注一)小泉八雲の功績を追懐し、顕彰する目的で松江に設立された全国組織。一九一五年に第一次創立、一九六五年に第二次発足。年一回発行の機関誌『へるん』がある。

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