住吉神社

月刊 「すみよし」

『神道のこころ』
照沼 好文 

伊勢の神宮大宮司、さらに神社本庁統理として、神宮・神社神道界のために活躍された徳川宗敬翁の神道に関する信条には、私たちが虚心坦壊に拝聴し、学ばなければならぬことが多い。

たとえば、宗敬翁と中西正幸氏との対談のなかで、宗敬翁は神宮大宮司を拝命し、式年遷宮の御儀や神宮の祭祀に奉仕されたことで、翁自身の宗教的な信念を深めたと、つぎのように述べている。(『瑞坦』第一三五号、四一頁。)

私は伊勢にきて神宮のまつりを奉仕したことにより、宗教的な信念が深まったと思います。人間としての弱さや足らざるところは、やはり神さまを前提にしなければ、どうしても解決しかねることが多いですね。科学的な進歩だけでは人間として解決は得られないと思います。昼なお暗い杉木立にいだかれ、古式をまもって神明に仕えまつりながら、そのように痛感することがしばしばあります。

つまり、太古ながらの杉木立にいだかれ、「古式をもって神明に」奉仕して、翁は「科学的な進歩だけでは人間として解決は得られない」人間社会の多くの矛盾を痛感したという。とくに、科学万能の合理主義、便利主義の現代社会に生きる私たちは、こうした実体験をとおして得た貴重な言葉に、謙虚に耳を傾けて、いまの生活を反省してみたい。

また、高千穂神社宮司後藤敏彦氏は宗敬翁の言葉として、神に奉仕するものの心構えについて述べたことがある。翁の言葉というのは、つぎのような内容である。

最近だんだん死語化した言葉に、有難い、もったいないといふ言葉があるが、祖先に対し、歴史に対し、国土に対し、有難い、もったいないといふ気持ちが存するところに、神祭りの心がよみがへるのだ。有難い、もったいないといふ言葉が、若(もし)も日本から失はれたら、日本の繁栄は砂上の桜閣になってしまふだらう。

つまり、以上にはいまある生命と豊かな暮しを授けてくれた祖先、肇国以来の民族の生命を伝え、かつ日本人であることの自覚と誇りを育んでくれる歴史、そして正大な正気の充満し、豊かな自然、環境に恵まれた国土等に対し、「もったいない」「有難い」という感謝、報恩の念をもつところに、「神祭りの心」の根本のあることを説いている。(『不二』第四九巻・第一一号所収「神棲む森の思想」四〇頁。)

さて、さきの中西氏との対談の中で、宗敬翁はとくに神宮の重要な儀式として、上古から伝承されてきた「大御饌」(おほみけ)の御儀(註1)について述べておられる。

神宮祭祀でとりわけ印象ぶかいことは、深夜に大御饌をたてまつり、神さまと祭る者とが一体になる感がありますが、他社のまつりとはおよそ違います。大御饌供進にしても、大きな饌案に山海の御物を盛りあげ、四種類の神酒と三献も供えます。その場の雰囲気はまったく家庭的ともいえるもので、さながら祖父母や両親・子供たちがチャブ台をかこむ親しさや温かさが感じられますね。神道は幅ひろくて理解しにくいとよく言われますが、神宮のまつりに神さまと子や孫といった間柄のような親しさがあるように、神道というものは平均的な日本人がもっている感情や心性そのものに過ぎません。

以上に拠れば、とくに神道における神と人との間の関係は、決して懸隔されたものではなく、神・人が渾然として一体化し、和合しした姿である。そして亦、宗敬翁は「その場の雰囲気はまったく家庭的」で、「祖父母や両親・子供たちがチャブ台をかこむ親しさや温かさ」が感じられるといい、神道は「平均的な日本人がもっている感情や心性そのもの」であることを強調されている。

結局、宗敬翁は実体験をとおして、この究極の姿を「神人和楽」の言葉で表現され、神道の「温(ぬく)もり」を伝えている。

 

(註1)「大御饌」は、内宮に奉斎する天照大神、外宮の豊受大神が召し上がるお食事で、毎日朝夕の二度、外宮の御饌殿において内・外両宮の大神に大御饌を供進する「大御饌祭」が執り行われるが、とくに神宮の重要な儀式として、上古から伝承されてきた御儀である。

 

『八雲が書いた「青の心理学」』
風呂鞏

今に始まったことではないが、多くの都会では、深夜に若者達が公園にたむろして騒いだり、ベンチやトイレなど園内の施設を壊したりする事件が跡を絶たない。そうした若者を撃退するために、東京都足立区の北鹿浜公園で、「若者たむろ防止装置・モスキート」を導入したという記事が何時だったか新聞に載っていた。

これは蚊(モスキート)が鳴くようなキンキンという金属音を発生させる装置である。この金属音は高周波であるため、三〇歳以上の人には普通聞こえないが、若者には不快な音として聞こえるのだという。すなわち、若者には可聴音、年配者には超音波(厳密には高周波の音)ということになるらしい(注一)。

つい先日も、アルバイト学生数人を対象に、この「モスキート」装置を使って高周波を聞かせる実験をテレビが放映していた。実験開始後間もなく、被実験者が不快な表情でレシーバーを外し、次々と部屋を出てゆく姿が見えた。実験後のインタビューでも、若者達にとっては、モスキート音が不快で耐えられぬ音に聞こえることが証明された。足立区の公園付近では、たむろする若者の姿が激減し、静かな夜が戻ったと、その効果の大きさに喜びを表わす付近の人々の笑顔があった。

一方防犯意識の高まりにつれ、青色の犯罪抑止効果に注目が集まっている。例えば、

イギリス北部グラスゴーの、と或るショッピング・ストリートでは、景観改善を目的にオレンジ色の街灯を青色に変えたところ、犯罪が激減するという現象が起きた(注二)。

日本では奈良県警察本部が最初に青色防犯灯を採用したが、既に犯罪が顕著に減少するという喜ばしい効果が出ており、広島県でも使用されていることは御存知であろう。新聞やテレビでも度々報道され、一層の関心が高まっている。

青色の性質には、神経の高ぶりを沈静化し、心が平穏になって本能的な衝動が抑えられるため、衝動的な犯罪を抑止する効果があると考えられている。青色サングラスを一・二分掛けると、興奮を鎮める青色の効果によって、脳の興奮が鎮まってくることなども判っている。青色を見ると視床下部が刺激され、“癒しホルモン”と呼ばれるセロトニン(脳内物質)が分泌されるのである。

ブルーには「青二才」、ピカソの「青の時代」(「困難な時代」の意)のようなイメージもないわけではないが、「青い鳥」、「青い山脈」、「青い血」(高貴の生まれを指す)、オックスフォードやケンブリッヂという名門大学の青色は有名だ。二〇一〇年に南アフリカで開催されるサッカーのワールド・カップ(W杯)、その出場を決めた日本チームのユニフォームの色を想起する人もいよう。

古代エジプトでミイラが青く塗られたのは、真実の魂との結合を示すためであったし、空の青は大母神イシス、ギリシャではゼウスやアフロディテに結びつき、ユダヤ教では永遠の青春を表わすエデンの園の色、エホバの玉座の色、キリスト教では貞節、敬神、希望の色として尊ばれ、仏教ではダルマ大師の智恵を表わすという。中国の竜も青い。

 

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本研究として第五冊目に当る『異国風物と回想』(一八九八)の中に「青の心理学」という論文体の文章を入れた(注三)。

ハーンはギリシャのレフカダ島を取り巻く碧海のブルーの中で出生した。そして、一八八七年仏領西インド諸島見聞の途次に見たあのメキシコ湾流の壮大に輝く純粋な群青のブルー、その熱帯時代の思い出がきっかけとなって、青によって呼び起こされる喜びの原因について考えるようになった。

ハーンは「原色の中で、ブルーが文化の高い民族の視覚に、その純粋な強さで、見て楽しい色として今日なお残っているのは、注目に値する」と述べる。空や海の青い色の喚起する主調音が、“喜びと楽しさ”であるとして、先ずその本質を捉えている。

次いでハーンが簡潔に述べている点を要約すれば、ブルーは対象の「高み」、「深み」、「広さ」、そして「時間空間」、また消失と出現の「運動」、等々の観念を示す、諸要素をもつ色、ということになる。

ハーンのブルー哲学は、彼の作品中にも読むことができる。耳なし芳一の周りに現われる陰火や雪女が出没する瞬時の空間のなかでは、霊的なブルーがもたらす緊張感がストーリー全体を支配している。ハーンが英訳した「浦島」(注四)でも、ブルーの神秘性が浦島伝説に広がりと奥行きを与える。「青の心理学」の次の文は、「夏の日の夢」という作品の中でハーンが多用する、青という色の役割を解説してくれる。

これまでに想像されたあらゆる楽園への人間的な思慕、未生以前から、死んだら再会出来るという約束を恃みとする心、夢幻の青春と幸福を待ち望む、今は消え果てた夢―これらいっさいの何ほどかが、このわれわれの震えるような青の喜びの中に、かすかながら、甦って来るのかも知れない。(仙北谷晃一訳)

「ハーンと浦島伝説」で仙北谷晃一氏が指摘しているが、「青は、ハーンの宇宙感覚、失われた楽園と時間への憧憬、今は亡き死者たちとの交感、確乎たる信仰への期待―それらすべてを包摂してハーンの魂を永遠の安らぎへと誘っていく色なのだった。」

(注一)人は加齢と共に、十七キロヘルツ以上の音が聞こえにくくなる。
(注二)グラスゴー中心部のブキャナン通りにおける青色街灯の犯罪激減効果については、二〇〇五年五月六日、日本テレビ系「まさかのミステリー」で取上げられた。
(注三)初出は『帝国文学』第四巻第一号(明治三十一年一月)の巻頭論文。副題は「進化論の見地よりみた文学、及び美術におけるブルーの価値」となっている。
(注四)ハーンは浦島太郎が大好きだった。『東の国から』の「夏の日の夢」を参照。

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