住吉神社

月刊 「すみよし」

『昭和の日に思う』
 照沼 好文 

昭和天皇さまの御誕生日、四月二十九日を今年から「昭和の日」と称し、祝日と決まった。思えば、戦前は「天長地久」という目出度い言葉から「天長節」と称した祝日で、家々には国旗を掲げて老若男女みな、お祝い申し上げた。戦後昭和二十三年、この日を「天皇誕生日」と称し、また平成二年には「みどりの日」と変った。そして、昨年から改めて「昭和の日」と定まった。昭和の御代を国民と共に苦難の道を歩ませ給うた昭和天皇のご聖徳を偲び、御誕生の佳き日を祝福申し上げることとなった。

ところで、昭和の御代に生まれ育った私には、昭和二十年八月十五日正午の玉音放送、「堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍(しの)ビ難キヲ忍ビ、以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」と仰せられた陛下のお言葉が、いまも耳底にあって忘れられない。そして、その翌年二十一年十一月十八、九日の両日、陛下は茨城県内をご巡行あそばされた。とくに、当県の中心地である水戸市は、昭和二十年八月一日の夜から二日未明にかけて、米軍爆撃機B29の空襲によって廃墟に化した。当時、私は旧制水戸中学校に在学中であったが、二日の大空襲のため、市内の各学校は焼失したので、戦災を免れた旧陸軍の東部第三七部隊の兵営が、「水戸市戦災学校集団教育」の場所となっていた。私たちはその場所に、陛下をお迎えした。その時、私は背広服を召された陛下のお姿を真近に拝し、非常な感激を覚えた。これはいまも変らない。

当時、十一月十九日の水戸行幸の日には、午前九時MPに護衛された陛下は、君が代演奏の中到着、旧兵営に間借りしていた集団学校の児童・生徒がお出迎えをした。殊に陛下は、私たち中学校(旧)の授業をご視察になったあとで、旧営庭に整列した生徒たちの戦災状況などをたずね激励された。やがて、門の近くで自動車にお乗りになると、何千という生徒たちが一斉に駈け寄ってお車をかこみ、万歳を叫んでやまなかった。私たちとともに陛下をお送りした一生徒は、つぎのようにこの時の感激を記している。

私達は舎前に整列して陛下の御出でになられるのを待って居りますと、……舎内から出て来られました。私は何ともいへぬ感激をもって見つめて居りますと、次第に私の立って居る所に近づいて来られまして直ぐ前に御立ちになられました。…私は此の瞬間夢ではないかと、自分で自分を疑ぐった位でした。…日本人と生まれて、此の身に余る光栄?何といってよいのか今此の文を綴りながら泣いて居ります。あの感激、あの感激!!

しばらくして後、万歳の声はいづこからともなく響いて来ました。私は思はず駆け出しました。陛下が今御還幸になられるのです。門の前後に感激に満ちた民衆が、陛下のお車を囲んで車も動けぬ程になりました。しかし、陛下は常に変らぬ笑顔をたたへられて帽子を振って居られました。私は思はず「天皇陛下万歳!万歳!万歳!」と叫びました。(『水戸一高百年史』、五三〇頁―五三一頁。)

水戸行幸の翌年(昭和二十二年一月二十三日)、戦後始めての宮中歌会始の御題「あけぼの」には、

御製

たのもしくよはあけそめぬ水戸の町

うつつちのおともたかくきこえて

と、水戸で詠まれた御歌を御披露になった。

とまれ、とくにこの「昭和の日」には、「万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」と仰せられた昭和天皇さまの御聖徳を景仰し、ご芳躅(ほうちょく、躅=行跡)を子々孫々に至るまで語り継いでゆきたい。

 

『美保神社の青柴垣(あおふしがき)神事』
風呂鞏

一八九〇(明治二三)年四月四日、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲は、カナダからの約二週間の船旅を経た後、横浜港に到着した。宿に着くやいなや、人力車を雇って横浜市内の神社仏閣を巡り、とある寺で学僧の真鍋晃と知り合いになった。

八月下旬、八雲は真鍋を伴って赴任先の松江へ出発した。神戸までは鉄道を利用した。神戸からは人力車を使い、山越えの旅をした。『日本瞥見記』の第六章「盆踊り」冒頭に、「山を越えて、神代の国出雲へ。―太平洋から日本海へと、強力な車夫に俥を引かせて、四日の旅である。四日もかかったのは、あまり人の通わぬ、一番遠い道を行ったからである」(平井呈一訳)と書かれている。

やがて、鳥取県西伯郡中山町下市の曹洞宗妙元寺で「盆踊り」を見ることになるが、その前に中国山地越えの途中で、八雲は面白いものに目を止める。

見渡す限りの稲田、ちょうど実を結びつつある青々とした稲穂の上に、至るところ祈祷の白羽の矢が突き出て、ちらちら光っている。細い竹が三分の一位まで割ってあり、その割れ目に文字の書かれた白い紙(神道のお札)を挟んで、しっかりと結んである。「湯浅神社講全村中安全」と書いたものと、「美保神社 諸願成就 御祈祷修行」(注一)と読めるもの、二種類があった。

この発見は、仏教研究が主目的で日本を訪れたと評されることもある八雲にとって、自分はいま神々の国へ近づいている、と覚醒・実感させた大きな出来事であった。

『日本瞥見記』には「美保関の神様はニワトリの卵がお嫌いだ。」に始まる「美保の関にて」という作品も載っている。「卵の嫌いな神様」とは、言うまでもなく、美保神社の祭神である事代主神(恵比寿様)である。

美保関は海の関所、信仰の地、流島隠岐への中継地、西回り海運の寄港地、歓楽地、捕鯨基地など、古代から様々な顔を見せてきた。八雲は三度いずれも夏に訪れ滞在している。一回目は明治二十四年、伯耆方面への旅の帰りに立寄った。二回目は二十五年、熊本から隠岐旅行に出かけ、その帰途「嶋屋」で境港に入る下関行きの汽船を待った。いずれもセツ夫人を伴った旅であった。第三回目の二十九年、東京帝国大学奉職の前に、長男一雄を加え、松江を経てこの地に遊び、大社へ向った。

八雲が常宿とした船宿「嶋屋」は、漁港の東側、美保小路にある。低い二階建て造りに明治の船宿の面影を残す「嶋屋」は、今では倉庫になっている。一階の土間の壁には、此処が八雲の常宿であったとの説明文が貼られている。八雲は二回目の滞在から、近くに住む恩田カネ(嶋屋の遠縁者)を宿に呼び、セツの髪結いをしてもらった。カネがそれまでの“銀杏返し”を“丸髷”に直したところ、八雲は上品だと喜んだ。恩田家には、セツ夫人から貰った日本髪の“根掛け”を集めて作った数珠と、生前の思い出を綴った聞き書きが伝わっている、という。

昨年末美保関を訪れた筆者は、今年の年賀状に、ハーンの常宿「嶋屋」の写真と共に、次の文面を認めた。―“『日本瞥見記』に「美保関にて」という紀行文がある。ハーンは美保関を三回訪れた。美保神社から延びる古い町並みと青石畳が醸し出す情景は今も人々を魅了する。ハーン宿泊の旅館は「嶋屋」。今は営業していないが、当時の面影を残すハーンの常宿を末永く保存したいものです。”―

さて、八岐大蛇、国譲り、国引きなどの出雲神話は、無論そのまま史実ではないが、「世界の始まり」や「物事の始まり」を探求しようとする哲学である。そして人間社会にとって普遍的なものを伝えようとする、隠れた豊かさを蔵している。

美保神社には、「国譲り神話」に因む二つの神事が伝えられている。ご存知、「諸手船(もろたぶね)神事」と「青柴垣神事」である。美保神社発行の小冊子『出雲神話の伝承』に拠ると、「諸手船神事」は、大国主大神が国譲りを迫られ、美保関にいた事代主神に国譲りの可否を尋ねるため、熊野諸手船に使者を乗せて遣わしたという故事に因み、毎年十二月三日の美保神社新嘗祭当日執り行われる。「青柴垣神事」は、使者によって伝えられた大国主大神からの問いかけに、事代主神が「かしこし、この国は天神の御子に奉り給え。」と答え、船を踏み傾け天逆手(あめのむかへで)を打って、海中の青柴垣に隠れられたという故事に因み、毎年四月七日の美保神社例大祭で執り行われる。これら神事の根底には、冬に神霊を送り、春にその復活を祝う古来からの儀式が存在する。

二〇〇七年九月発行の『湖都松江』に、山田太一氏の次の言葉が載っている。

きょう(四月七日)美保関の青柴垣神事を見せて頂きましたが、こうした古い神事を近代化のあらしの中で守って来られたことに感動しました。また、観光主体の祭事ではないということにも敬服しました。客を意識にとめない祭りを久しぶりに見た思いです。その気持ちのよさと、おおらかさが、何よりと思います。そこには祭りによくある賑わいはなく、神事を何より大事にしているという空気が、私には新鮮に映りました。(中略)怒声を上げて、指図する人もいない。そして初めは音曲がないのです。私たちが知っているお祭りは、何日か前から太鼓と笛の練習が遠くから聞こえてくるものです。粛々と進行し、事代主命が亡くなられ、神様になられるというところで初めて、太鼓と笛が聞こえてくる。あのためはすごい。これを見ると関東あたりのお祭りは、ちょっと軽薄に見えますね。

四月七日は、青(あお)柴垣(ふしがき)神事で古代出雲の精神文化、「和譲の精神」に触れてみたい。

(注一)「美保神社 諸願成就 御祈祷修行」と書かれたお札は、波切り御幣と呼ばれ、今も海運業者や船長達が貰い受けて帰るそうだ。

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