住吉神社

月刊 「すみよし」

『年頭に想う』
照沼 好文 

ことしは明治維新(一八六八年)から、丁度百四十年目という記念すべき節目にあたる。

慶長八年(一六〇三)に、徳川家康が征夷大将軍に就任して、江戸幕府を開設してから二百五十六年後の慶応三年(一八六七)十月に、第十五代将軍徳川慶喜が征夷大将軍の職を辞し、政権を朝廷に返上して、所謂大政奉還が実現した。次いで同年十二月九日、朝廷は王政復古の大号令を発し、天皇親政を行なうことを宣言した。翌年(一八六八年)には、元号も慶応から明治と改元された。ともあれ、この王政復古という大変革によって、旧来の徳川幕府は崩壊し、天皇親政の明治新政府が成立して、近代日本のあゆみが始まった。丁度、この時から算えて、ことしは百四十年目ということである。

ところで、この王政復古、維新の淵源は、第二代水戸藩の徳川光圀(義公)であったと言われている。たとえば、明治の碩学栗田寛博士は、つぎのように述べている。

〔江戸幕府開設の当時は〕武勇を以て〔天下〕を平らげらばかりである故、人々は武を尊ぶことを知って、大義名分と云ふことを知らなかった。天下の人も将軍あるを知って、天皇のあることを知らぬと云う様な時代であつた。斯様な時代であつた故、義公は王室を尊ぶことを首唱し、世人を教導されんとした。…左様な処より忠義の気が凝りて、薩州の如く、長州の如く、諸国の人々が起り、明治の偉業を成したのである。

然れば、其の功績は『大日本史』によるのである。義公は、明治の功業のはじめを成されたものである。是れは私が申すまでもなく、天下の人が左様申してゐる。また日本人が申すばかりでなく、英吉利人のサトウとい云ふ者もこのことを述べてゐる。彼はさすがに学者で、明治維新の功業と云ふものの根元は、水戸光圀卿であると云つてゐる。

即ち、明治維新の淵源は水戸義公にある。義公は明暦三年(一六五七)に、国史編さんのため彰考館を開設し、大日本史編さんに着手された。とくに、義公は幕府の存在を否定し、つねに京都の皇室を崇敬して、天皇を中心にした日本の国がらの尊いことを説いた。こうした義公の思想は、多くの先人たちに継述され、やがて明治維新という一大偉業を結実するに至った。とりわけ、英国人アーネスト・サトウは「明治維新の功業と云ふものの根元は、水戸光圀卿である」と、義公の学問事業と、その学問思想の果した役割を高く評価していると、栗田博士は述べている。

さらに、栗田博士は、義公の国史編さん事業には遠大な構想のあったことを指摘されている。

江戸時代の思想界に、重大なる役割をもつてゐた水戸学は、義公が明暦三年彰考館を設けて、『大日本史』の編さんを御計画なされたことが、その思想の具体化され始めであつた。義公は尊王といふことを国民道義の大本とされ、敬神崇祖を国民生活の帰趨とお考へなされた。

つまり、義公における究極の構想は、「尊王」を「国民道義」の大本とし、「敬神崇祖」を国民生活を基盤に据えた道義国家の建設を、最大の目標とされていたことがわかる。

いずれにせよ、こうした義公の思想は、明治の御世に及んで実を結び、祭政一致の制度が樹てられ、敬神崇祖の思想がとくに昂揚したことは事実である。年頭に当たり、私たちは維新という一大偉業を振返り、そこから多くのものを学んで、各自が確固とした国家観、或いは世界観というべきものを養うときであると想う。

 

『小泉八雲と隠岐』
風呂鞏

小泉八雲ことハーン、と同じ年にイギリスで生まれ、明治十九年から東京帝国大学で、日本語および博言学(言語学)を講義したバジル・ホール・チェンバレン(一八五〇-一九三五)は、その著『日本事物誌』の“音楽”の項で、「日本はいつの日にか、新しい第九交響曲をもって世界の人々を魅了することがあるであろうか。期待されるところは極めて少ないと言わざるを得ない」と、日本音楽の幼稚さを辛辣に批評した。

チェンバレンの指摘が正しかったのか、日本音楽が明治以来置かれて来た特殊な状況は終わろうとしているにも拘らず、「西洋の近代音楽だけが、民族を超えて価値のある普遍的体系をもつ」という考え方が、いまだ完全に消滅してしまったわけではない。

年の瀬になると日本全国至る処で、ベートーベンの「第九交響楽」の第四楽章、その「歓喜に寄せる歌」の演奏と合唱が恒例の年末一大行事となり、まさに国民的音楽かと間違えるほどの大変な熱狂ぶりであるのは、周知のことである。

二〇〇六年六月に全国東映系で『バルトの楽園』(注一)が上映された。その映画で初めて知った人も多いと思うが、ベートーベンの「第九交響楽」の、日本における最初の演奏が行われたのは、徳島の「板東俘虜収容所」であった。そこは今「第九」の里ドイツ村という名で親しまれている。ヘルマン・ハンゼン軍楽隊長指揮の徳島オーケストラ(総員四十五名)による第二回コンサートで、第四楽章まで全曲演奏された。今を去る九十年前、一九一八(大正七)年のことであり、東京上野の音楽学校生、すなわち日本人による初演の一九二四(大正一三)年より六年も早かった。

ところで、この様な民衆の西洋音楽崇拝、特に日本の音楽教育における西洋音楽への傾倒という現象の裏に、最近は外国人でありながら、邦楽を勉強する人の数が目立って増えている事実にも注目する必要がある。 

小泉文夫著『日本の音楽』(平凡社ライブラリー)を読んでいると、「音楽は国際的な言語である」という常識的な言葉が、音楽の性格を認識する上で、余りにも陥り易い、落とし穴を有していることが分かり、納得すると同時に痛快な気分になる。

教育において西洋音楽一辺倒になった理由は、大きく分けて次の二点に絞ることが出来るかもしれない。その第一は、音楽の国際的な性格を余りに強く過信したこと、第二は、教育の体系を作った人々が本当には伝統音楽を正しく認識していなかったことである。

外国人に紹介する日本の代表的な料理の一番初めが「すきやき」である如く、外国人に紹介するのに一番適している日本音楽の代表的なものは、雅楽であると考えられている。外国人が日本に来ると、観光客であろうと、音楽の研究家であろうと、一番初めに見せられたり、聞かされたりするのは雅楽である。特に音楽を専門的に勉強しようとしている外国人で、雅楽に興味を持っていない人はいない。

日本の音楽というイメージからすれば、三味線とか、筝、尺八、琵琶という楽器を使う江戸時代の音楽の方が、雅楽よりももっとぴったり来るかも知れない。それに日本の雅楽と歴史的に関係があり、非常によく似た音楽は、韓国、台湾、ベトナムにもある。だから、雅楽は、日本の代表的な音楽と云い切ることは出来ないし、日本だけにしかない、いわゆる日本独特の音楽でもないのである。

それなのに何故雅楽が非常に大勢の人たちから、外国人に見せたり聞かせたりするのに一番適した音楽であると考えられているのであろうか。

先に挙げた小泉文夫著『日本の音楽』に拠ると、まず第一に、雅楽は言葉がわからなくても、ただ音楽を聴くだけでよい。器楽を中心とするものの方が、外国人には分かりやすい。第二に、雅楽は、一つの楽器の独奏ではなく、管弦と言われるように、管楽器、弦楽器、打楽器が、西洋のオーケストラと同じようなアンサンブルになっている。第三に、雅楽の中心になっているものは、中国、朝鮮を経て日本に入って来たアジアの古代の儀式音楽で、それには必ずといっていいほど舞踊がついている。つまり舞踊の伴奏音楽(舞楽)なのである。最後に、雅楽は、それ以後の様々な日本の伝統的な音楽に極めて大きな影響を与えた。篳篥(ひちりき)、笙、筝、琵琶、横笛、太鼓など、単に楽器を見ただけでも、後の日本の音楽文化を創り出す上で、極めて重要であった。

来日以降のハーンは、日本民族の感情を知るうえで、民俗音楽の比較研究が極めて有効である、という立場を鮮明に打ち出した。すなわち、雅楽というような宮廷社寺の音楽よりも、鳥のさえずり、蝉の鳴き声と同様に、豊年踊り唄、盆踊り唄、わらべうた等々の、野山に響く民衆の歌の方に、一層深い興味をもったことは事実である。

しかし、ハーンがまだ三十代の頃、一八八四年十二月から翌年の五月まで開催された、ニューオーリンズ万国産業博覧会の日本関係の展示場で、初めて琴、篳篥、琵琶、三味線その他日本の古楽器を目にした。その部屋には古楽器のほかに、日本語から翻訳された、さまざまの音楽関係の文献も陳列してあった。ハーンを喜ばせたのは、古代ギリシャの音楽と日本の音楽との類似性を指摘し、有名なアポロ讃歌が雅楽の盤渉(ばんしき)調と呼ばれるものに正確に対応する、という伊沢修二の論文だったのである(注二)。

(注一)第一次世界大戦後、徳島県鳴門市の板東俘虜収容所(最高収容人員一〇二八名)における、ドイツ人捕虜と地元民との国境を越えた真実の友情を描く作品。こうした温かい友情の交換を可能にしたのは、所長松江豊寿中佐(のち大佐)の捕虜に対する人道的な扱いと寛容な待遇があったからであった。彼の高雅な人格と包容力は、彼が会津藩士の子であるという誇りに由来するものであった。
(注二)一八八五年三月二十八日付け『ハーパーズ・バザー』紙に載った「東洋の珍品奇品」参照。

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