住吉神社

月刊 「すみよし」

『夏草や…』
照沼好文

今回、十一世紀―十二世紀の約百年間の間、奥州藤原氏の根拠地であり、北日本の文化的中心地であった岩手県の平泉が、ユネスコ世界文化遺産の地に指定された。同じく東洋のガラバゴス(南米エクアドル西方の太平洋上の同国領の島々)といわれる小笠原諸島が、特別な貴重動植物の残っている自然遺産の島に指定された。とくに、平泉地方における三月十一日の東北大震災と津波の直接の損害が少なかったとしても、その影響は甚大であるという。この五月のゴールデン・ウィークにおける観光客は、前年と比べて80%低下して約四九、五〇〇人に減少したと聞くが、こうした時、平泉の世界文化遺産の史跡指定は、大震災や津波の影響から、立上る復興の力となって役立つことであろう。

ところで、奥州藤原氏三代(清衡(きよひら)・基衡(もとひら)・秀衡(ひでひら))の絢爛(けんらん)たる百年にわたる平泉の黄金時代、そして鎌倉幕府の頼朝の攻略を受けて滅亡の途を辿った跡を元禄二年(一六八九)に、俳聖松尾芭蕉は訪ね、『おくのほそ道』の中に紀行文を残した。芭蕉は「旅を通して日本の風土の美を探るのみならず、さらに歌枕の中に宿された古人の詩心と邂逅し、詩歌の伝統をとらえんことを期した」(角川文庫版『おくのほそ道』尾形仂氏の解説、二八一頁)というので、とくに平泉の紀行文は「三代の栄耀(ええう)一睡の中(うち)にして、大門の跡は一里こなたにあり。…」に始まる圧巻であるが、ここで同文の現代語訳を紹介してみよう。

「藤原三代の栄華もわずか一睡の間の夢と過ぎ、今は廃墟と化した平泉の館の大門の跡は一里も手前にあって、往時の虚構を偲ばせている。秀衡の居館の跡は田野となって、かれの築かせたという金鶏山のみが昔の姿をとどめている。何よりもまず義経の遺跡高館に登ると、突如として北上川が眼下の視界に飛びこんでくるが、これは遠く北のかた南部領より流れて来る大河である。衣川はかの義勇の士忠衡の居館和泉が城をめぐって、この高館の下で合流している。泰衡らの旧跡は、ここからは衣が関を隔てたかなたにあって、北の関門南部口を堅く守り、蝦夷の侵入を防ぐ形に見える。さても、義経が義勇の臣をえりすぐって、この高館の城に立てこもり、数々の功名もただ一時の夢と消えて、跡はただ茫々たる草原となってしまっている。わたくしは「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と杜甫(とほ)の詩を口ずさみつつ、笠を敷いて腰をおろし、時刻の移るまで懐旧の涙にくれたことであった。

 夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

 卯の花に兼房(かねふさ)見ゆる白(しら)毛(が)かな  曽良

かねがねその壮麗さを話に聞いていた中尊寺の二堂を開帳する。経堂は清衡・基衡・秀衡の三将の像をとどめ、光堂は右三代の人々の棺を納め、弥陀三尊の仏像を安置してある。かつて内陣の絢爛と荘厳した七宝を散りうせて、珠玉を鏤(ちりば)めた扉は多年の風にさらされて損壊し、金色の巻き柱は積年の霜雪のために腐朽して、もう少しのところでくずれすたれ、むなしい廃墟の草原となるはずのところを、はかない現世におけるかりそめの間ながら、なお千古の記念とはなっている次第だ。

 五月雨(さみだれ)の振り残してや光堂

 (前掲角川文庫版、一〇一頁〜一〇三頁。)

『おくのほそ道』の中でも、奥州平泉の一節は、特に格調が高い。芭蕉が旅の疲れを忘れ、杖を止めて感慨にふけった姿が浮ぶ。平泉の歴史的背景、またその地形、人々の哀愁等を心に秘めて芭蕉は句を詠んでいる。それから三百余年の後、未曾有の東日本大震災にこの地も遇ったが、いま世界文化遺産の登録とともに、平泉を訪れる人々も増し、その人々が改めて「日本の風土の美」に触れ、「歌枕の中に宿された古人の詩心」と出会える日を待望したい。

『"雄々しさ"という品格』
風呂鞏

東日本大震災から一〇〇日以上が経過した。復旧・復興の掛け声は大きいが、被災地の方々の悲しみや労苦が減る気配は中々見えてこない。国を預かる政治家は党利党略に明け暮れ、ノーブレス・オブリージュ【高い身分に伴う徳義上の義務】を忘れている。福島第一原発の放射能問題では、さすが我慢強い東北の人々の間にも不満が募り、東京電力や政府の対応・無能ぶりに苦情を露わにする人の数も増している。震災直後に予測された原子炉内の燃料棒メルトダウンに関しても、発表が何故あんなに遅れたのかと、疑念は消えない。

三月十一日までの日本は、先のリーマン・ショックで経験した経済的な危機などを何とか乗り越える方策を講じながら、ノーベル賞受賞者が相次ぎ誕生するなど、日本の科学技術のレベルが世界的に認められたことで、自信と誇りを感じていた筈である。しかし、果たしていま日本人の何パーセントが、日本に生まれて良かったと胸を張って言うであろうか。特に若年層の間に、国としての日本にどれ程の期待感が存在するであろうか。

本来若者の心に希望の灯を点すべき立場の高齢者(筆者)が、かかるペシミズムに囚われていて情けない限りだが、この憂鬱から抜け出す手立てを誰かに教えて欲しい心境だ。

こうした状況の中で、被災地の方々を初め全国民が最もまごころを感じ、且つ勇気づけられたのは、皇室の方々のねぎらいのお言葉と被災地ご訪問ではあるまいか。

両陛下が四月二七日に宮城県をご訪問され、続いて五月には、岩手、福島の両県をご訪問になったことは、既に周知のことである。両陛下は避難所で住民を励まされ、関係者の労をねぎらわれた。避難者の生活する体育館では、両膝をついて身を乗り出され「お体は大丈夫ですか」「お元気でね」と一人一人に優しいお声を掛けられたのである。

訪問に併せて私的費用から見舞金も下賜されたが、特に印象深かったのは、瓦礫が大量に残る町並みに向かって黙礼をされたことである。ヘリコプターを降りられると同時に、また被災地を離れられる際にも、二度までも深々と黙礼された。そのお姿を拝見して、両陛下の深い御心に感謝・感激の涙を流さなかった国民はいないであろう。

皇太子ご夫妻も六月四日、宮城県を訪問された。津波で壊滅した住宅地、住民が流された海に向かって頭を下げられた。避難所では被災者一人一人にお声を掛けられたが、「おつらかったですね」と労(いた)わられる雅子さまに、両手を合わせ涙ぐむ女性の姿が印象的であった。

災害に対する両陛下の御関心にはただならぬものがある。被災地へのご訪問を初めとして、皇后陛下は一九九九(平成十一)年、御誕生日の記者会見の際に、津波の被害から復興した奥尻島などを振り返られ、「稲むらの火」に言及された(注一)。その中でやんわりとだが、学校教育における防災意識の必要性に触れられたのは、特筆大書すべきことだ。

子供のころ教科書に、確か「稲むらの火」と題し津波の際の避難の様子を描いた物語があり、その後長く記憶に残ったことでしたが、津波であれ、洪水であれ、平常の状態が崩れた時の自然の恐ろしさや、対処の可能性が、学校教育の中で、具体的に教えられた一つの例として思い出されます。

今回の東日本大震災で、被災地の悲惨な状況に深くお心を痛められた天皇陛下は、夙くも三月十六日に、ビデオを通じて自らのご心境を国民に語られた。メッセージ全文が一語一語、まごころの伝わる珠玉のご聖言であり、誠に畏れ多いが、特に次の二点に触れたい。

その一つは、震災時における日本人の行動を海外の人々が賞讃していることに言及され、「海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。」と述べられたことである。

東北の人々を初め、日本人のgovernability(被統治能力)の高さを今一度自覚したい、との有難いお言葉である。国民全体が自信と誇りを取り戻すパワーを与えて頂いた。

この“自分より他を先ず優先”という気高い精神を想う時、筆者には宮沢賢治(岩手県花巻生れ)の有名な詩「雨ニモマケズ 風ニモマケズ…」の中に書かれた “アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニイレズニ” という詩句が懐かしく思い出される(注二)。

陛下はまた、「何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに、深く胸を打たれています。」とも述べられている。この“雄々しさ”という字句に込められた意味合いは深長である。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は「日本人の微笑」の中で、一八九一年の濃尾大震災の直後、児童たちが、寒さと飢えと、言語に絶する恐怖・悲惨の渦中で、焼け落ちた屋根瓦を石盤として使い、ちぎれた針金を石筆の代わりに使って、いじらしい勉学を続けた様子に着目し、日本人の素晴らしい忍耐力、勉学に対する驚くべき意志力を称えている。

ハーンの観察は、陛下の“雄々しさ”に通底するのではなかろうか。“雄々しさ”をこそキーワードに、日本人のDNAに内在する、互助・共助の精神、日本人の底力に思いを致し、改めて自信と笑顔を取り戻す縁(よすが)としたいものである。

(注一)『神社新報』(平成二十三年四月十一日)で、八代 司氏が紹介している。

(注二)宮沢賢治がハーンを如何に受容したかは、未だ明確に論じた言説は見当たらない。しかし、ハーンとの親近性は明らかであり、common peopleの心を共有できたハーンも、他をいたわり、寡黙で、純朴に生きる人間への憧れは殊のほか強かった。

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