住吉神社

月刊 「すみよし」

『花のこころ』
 照沼 好文 

以前、『神道人の書』という書物が、神社新報社から出版された。(初版平成十年五月)その折、水戸出身の明治の碩学、栗田寛博士(一八三五―一八九九)が指毫した和歌を解説した。栗田博士の和歌は、丁度いまの季節にあった内容であったので、その歌をここで紹介してみよう。

 うくひすのこゑのかをりて聞ゆるは花の

 心をなくにやあるらむ      寛

この和歌の大意は、鶯(うぐいす)、一名春告鳥(はるつげとり)のさえずりは、おそらく早春にふくいくと開いた梅花の芳香を、天下に告げているのだろう。博士晩年の作と思われるが、またこの和歌の書には、歌意を象徴するに適わしい品格と気概が漲っている。

因みに、水戸出身の栗田博士は、とくに水戸歴代藩主のなかで、最も名声の高かった徳川光圀(二代藩主)や斉昭(九代藩主)そして、水戸の多くの先人たちのように、梅花を愛好した。梅は先人たちの高節、錬磨した精神生活を象徴する気品と志操とを備えていたからである。

とりわけ、栗田博士には梅に関して「浪華梅記」(なにわのうめのき)の一文がある。昔、光圀は文運の盛衰を占わんとして、『大日本史』編さん事業の拠点「彰考館」の庭前に、浪華梅を植えた。その後、梅には消長はあったが、百年後の斉昭時代には再び、ふくいくと余馨(よけい)を放ち、東藩の文学も盛大であった光圀時代の旧に復したと、栗田博士は梅に托して光圀・斉昭二公の余光を敬仰した。

雪と梅に象徴される幕末の水戸は、尊攘・討幕運動の拠点であったが、政治上の意見で二分された。当時、博士は尊攘派のため兵馬の間を奔走し、尊い生命を維新創業に捧げた先輩・同志たちの姿を間近にみて、後々までそれを追念した。かくて、冒頭の一首は明治開明の御代に、光圀・斉昭二公をはじめ、多くの先人たちの遺芳、即ち「花の心」を敬慕追念して止まなかった栗田博士の「梅花賦」に他ならぬ。

最後に、栗田博士の言葉に「学問の意味」を説いた一節があるので、この言葉を紹介して、参考に供したい。

 扨、大義名分の大略と云うものは、君父を尊敬し、内外の分、尊卑の義を明らかにすることである。これを明かにする事を、之(これ)を学問と云うが、それは、今日の所謂学問と云うものでなく、先ず自分の国のことを能(よ)く心得て、夫(そ)れから外国の事に及んで、我が国の助けをする所の学問である。学問も自国の事を差し置いて、外国のことを専らにすると云う学問であってはいけない。道義倫理を本として、それら自国の風俗、或いは習慣、これを精しく知ることが、学問の意味である。(水戸の「弘道学会」の席上での講演記録による。もと歴史的仮名。)

 

『タイガーマスク現象』
風呂鞏

 

大正十五年一月、児童文芸雑誌『赤い鳥』に発表された「からまつ原」という曲がある。作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰である。歌詞は次のようになっている。

からまつ原の

ちらちら薄日


かばんをかけた

子供が通る


泣きたいような

さみしい春だ


どこかで 鳥が

ちっちと鳴いた


長く厳しい寒気が緩み、新しい生命の芽吹く春がやって来ると、期待に胸を膨らませるのが一般である。「早春賦」や滝廉太郎の「花」の如く、春の歌は明るく華やかな曲が多い。 

ところが、この春の歌「からまつ原」はちょっぴり寂しい感じがする。当たり前の事だが、人それぞれ季節への思いがあり、春になると心弾む人ばかりとは限らないのである。

この歌に関しては、ランドセルを背負って駆けて行く子供の晴れやかさと、就職難の渦中で翻弄され、折角の春なのに泣きたいような今の自分、その対比を捉えた自虐的な曲だと、解釈することも出来るであろう。

また一方、真新しいランドセルを背に、誇らしい笑顔を見せるピカピカの小学一年生もいれば、誰かのお下がりか、古びたランドセルしか貰えなかった子供だっている。目の前を通り過ぎる子供を眺めている内に、ランドセルを買ってもらえない寂しい新一年生への思いもよぎる。不平等社会の片隅に生きる子供を偲び、思わず涙の出る瞬間でもある。

春という特別の季節とランドセルとの結びつきから、「泣きたいような」事情を抱えた親を想像する人もあろう。歌詞の中に読める「泣きたいような さみしい春」とは、まさに、同情すべき親と子供への遣る瀬無い気持ちを代弁しているのかも知れない。

この曲の如何にも「さみしい」音調を耳にしながら、養護施設の子供たちの「さみしい春」を思う時、昨今の「タイガーマスク現象」というニュースほど、日本人のDNAの中に脈々と流れる崇高な「共助の精神」を想起させ、心温まる感動を与えるものはない。

「タイガーマスク現象」とは、児童養護施設などに、漫画タイガーマスクの主人公を名乗る人物から、善意の贈り物(主にランドセル)が止まらない、という美談の連鎖を言う。

今年になって早々、テレビは無論、新聞紙上でも、「タイガーマスク現象」が紙面を賑わせた。“タイガーマスク贈り物止まず”、“伊達直人 広がって”、“タイガーは理想の父親”といった見出しが続き、中国新聞「天風録」(一月十一日)もこれに言及した。

漫画「タイガーマスク」は、梶原一騎の代表作である。「巨人の星」「あしたのジョー」と並んで、一九六八年から連載が始まった。主人公は伊達直人。孤児院「ちびっこハウス」の孤児たちを無条件で応援するレスラーである。漫画版の連載とほぼ同時進行でテレビ放映が始まった。一九七〇年には、最高視聴率が三一.九%とアニメ歴代十二位を記録している。

主題歌『行け タイガーマスク』のエンディング曲「みなし児のバラード」(作詞:木谷梨男、作曲:菊池俊輔)には、次の歌詞(一部のみ紹介する)がある。

あたたかい 人のなさけも 胸をうつ /あつい涙も 知らないで /そだったぼくは みなしごさ・・・ああ だけど そんなぼくでも /あの子らは したってくれる /それだから みんなの幸せ いのるのさ

"伊達直人"と名乗る人々は、既に子育てを卒業した高齢者や、この漫画を雑誌やテレビで見ていた世代であろう。自分達が育った昭和の時代や自分の生い立ちに思いを馳せ、今の酷い格差社会の中で、せめて小学校のスタート時だけは誰もが同じような明るい春を迎えて欲しいと、“みんなの幸せ”を祈らざるを得なかった人達ではなかろうか。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、東大での講師時代、卒業生たちに課題(卒業試験)として作文を書かせ、優秀な上位三名には、賞品(時には賞金)を与えることにしていた。一九〇一年に一等賞を得たのは「上野公園」での或る情景を描写した学生であった。

仕事で疲れた一人の労働者が夕刻帰宅する途中、満開の桜の下で老いた乞食に出くわす。多くの通行人がそばを通り過ぎるが、誰一人注意を払う者はいない。しかし労働者風の男はその乞食に近づき、僅かな稼ぎの中から二、三枚の硬貨を与えたのだ。このスケッチには、貧しい者同士の中に存在する温かい同情、即ち、貧者の気持ちは貧者にしか分からず、善きサマリア人とは必ずしもお金持ちのことではない、という鋭い観察眼がある。驚いた事に、この優秀作は、ハーン自身のロンドンでの実体験と重なる部分があったのである。

金持ちの慈善が無いわけではない。しかし個人としての彼らは貧者の気持ちが分からない。「タイガーマスク現象」も同様の問題を抱えている。児童養護施設などにランドセルを贈るいわゆる“伊達直人”の多くは、必ずしも裕福とは限らないのである。

社会全体がもっと格差に眼を向けなくてはいけない。今回の「タイガーマスク現象」が、一過性でなく、寄付文化の拡大へと繋がって行くのを願うのは、私一人ではあるまい。

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