住吉神社

月刊 「すみよし」

『八雲の宿願・富士登山』
風呂鞏

明治二十三(一八九〇)年四月、二週間の船旅を経て憧れの日本に到着したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)には、どうしても訪れたい場所が二つあった。一つは出雲大社であり、もう一つは富士山であった。

来日した年の八月末にハーンは神々の首都松江で中学校の英語教師となったが、早くも二週間後には出雲大社に参詣した。『知られざる日本の面影』所収の「杵築―日本最古の神社」という章は、出雲大社に初めて参拝する喜びに溢れている。西田教頭の紹介状を携えて千家尊紀・宮司および佐佐鶴城・神官との面接を果たしたハーンは、外国人として初めて昇殿を許されたのである。『古事記』を読み来日した念願の一つがまさに成就した瞬間だ。

明治十七(一八八四)年の十二月からニューオーリンズで万国産業綿花百年記念博覧会が開催された。日本館の展示品に興味を惹かれたハーンは、「ハーパーズ・ウィークリー」紙(一八八五年一月三十一日付)に記事を書いている。その中に富士山への言及がある。絹布に刺繍された富士、葛飾北斎の富嶽百景、扇面の山水画の富士、青銅品や磁器に描かれた富士などを目にしていたのである。その記事から文面の一部を引用すると、

華やかな絹布が至る所に吊るされている。魅了するような構図や人物、風景、中でも富士山、火口が八弁の聖なる蓮の形をした不二山の図が精巧に縫い取られた絹布である。大家北斎一人で百景を描いた富士山、冠雪の真珠の如き美しさは、ただ、「乙女の白い歯」にのみ喩えられ、山頂は光の無限の変化とともに変幻に色調を変える富士山。至る所に姿を見せている。(寺島悦恩訳)

二年後、ハーンはカリブ海に浮かぶ西インド諸島のマルティニーク島へと向かった。一八八八年の九月には島内随一の秀峰プレー山(一三九七m)に登頂、火口湖でひと泳ぎするが、興味深いことに、プレー山を「マルティニークの富士山」と呼んでいる。ニューオーリンズ万博で、富士を描く日本画の筆力にハーンの美意識がくすぐられていたのであろう。

西インド諸島への旅を終え、カナダ太平洋横断鉄道「横浜号」でヴァンクーヴァ―へ、そこからアビシニア号に乗船して待望の日本にやって来たハーンは、明治二十三年四月四日、横浜港の船上から探し求めていた本物の富士の姿を捉えることが出来た。早暁の相模湾から望む第一印象を「日本への冬の旅」に記している。

一切の形あるものを越えたところに、雪を頂いたこの上なく優美な山容―富士山だった。裾の方は遠景と同じ色で識別できず―ただ頂きの全容があえかな薄膜のように空に懸かっている―幻影と見まごうほどに。(仙北谷晃一訳)

松江中学に赴任し、初めて“出雲不二”を眺めた時も、ハーンは「下の方は、透き通ったネズミ色に、上の方は遠白く霞み立ち、千古の雪の夢を頂いた、幻の峰―大山の雄姿」と描写し、初冬には一夜のうちに麓から頂上まで真っ白になり、半開きの白扇をさかしまに懸けた不二の霊峰を彷彿とさせる、と意識の中で大山と富士山を交差させている。

明治二十九(一八九六)年、ハーンは四十六歳で帝国大学文科大学の講師となった。翌年からはほぼ毎年のように、家族・書生などを伴い静岡県の焼津へ避暑に行くようになった。焼津の人々と荒海が気に入ったからである。魚商人・山口乙吉宅に逗留した。

二〇〇七年にオープンした焼津小泉八雲記念館の名誉館長小泉凡氏は、冊子『焼津小泉八雲記念館―八雲と焼津―二〇〇七』(平成二五年)の中で次のように述べている。

晩年の小泉八雲がどこよりも愛し、六回の夏を過ごした焼津。泳ぎの達人を魅了する駿河湾の深い海、“神さま”のような人格者、山口乙吉さんとの出会い、素朴で親切な人々、富士を望む絶景の浜辺、生活に生きづく和の伝統…、どれをとっても彼にはたまらなく魅力的な要素でした。

泳ぎの達人ハーンが焼津を好んだ理由の第一は、文句なく駿河湾の荒くて深い海であった。そして其処には富士山を望むことの出来る絶景の浜辺―当目の浜や和田浜海岸―があった。

明治三〇年八月に家族を連れて初めて焼津に滞在したハーンは、帰京の途中、松江時代の教え子・藤崎八三郎と念願の富士登山をした。そして翌年、その体験を綴る「富士の山」を発表している。藤崎の「小泉八雲先生の追憶」には、fat old man(肥満のご老体)であるハーンは身体も余り強健でなく、登行頗る困難、一歩に一休みという風であったと記録されてはいる。然し、これで日本上陸時の宿望二つが美事に達成を見たのである。

ハーンはようやく頂上に到達した。しかし、百里の霞みを隔てて仰ぎ見ると、浄らかな蓮の花の蕾が咲き開こうという雪白の花びらに見えた頂上が、いざそこに立って眺めると、恐ろしい、無気味な、凶々しい、凄惨な場所であろうとは、夢想さえ出来ぬことだった。外観と実体の違いをはっきりと確認したハーンは、作品「富士の山」のタイトル脇に、日本の諺「来てみればさほどまでなし富士の山」を書き添えることを忘れていない。

芸術と信仰の両方で普遍的な価値があると認められた富士山は、今年六月には世界文化遺産に登録された。予想通りというか、富士への登山者は大激増。中にはサンダル履きで参加する超勇敢な女性も出現したという。巡礼ならまだしも、後期高齢者は、三保の松原や焼津の浜辺から眺める富士の麗容で満足しておく方が無難かも知れない。

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