住吉神社

月刊 「すみよし」

『わたしの海』を読んで
照沼好文

 

先般、畏友宮崎義敬氏から、高著『わたしの海』が贈られてきた。今年は丁度、神道政治連盟結成四十周年に当る歳であるので、この結成四十周年の記念式典を最後に、平成十年六月以来、四期十二年間にわたる神政連会長の要職を退くつもりだと、兼々語っていたが、この『わたしの海』を手にして、改めて同氏の斬界への貢献と、その活躍にただ低頭し、敬を表するしだいである。

 早速、『わたしの海』を開いてみると、本書の前半には、「わたしの海」「島に咲く花」「群青の海」「こぼればなし」「里山の子守唄」「花恋えば」等の著者自作の詩が収められ、これらの詩の前後には、詩に纏わる山口の日本海に面した海辺の著者の産土と、そこに育った生立とが、詩の詞書のように、著者の豊かな慈眼に充ちた言葉で綴られている。

 例えば、冒頭の「わたしの海」には、本書の標題にもなっているが、特に社家に育った著者は、昭和十八年(さきの大戦中)に尊父が四十四歳で帰幽され、当時三十六歳の母堂は中学(旧制)二年の兄をかしらに六人の子供を育てながらお宮を守った。兄や姉は、当時軍需工場に学徒動員で勤労奉仕に出ていたので、著者は小学二年生のときから、お宮の日供祭をはじめ神事に奉仕したという。母堂に読み下しの祝詞を書いて頂き、「父の古装束を小さく仕立て直してもらったのを風呂敷に包んで、あちこちの集落へも出かけ」て行ったと。その母堂が百歳を迎えたとき、母堂の戦中・戦後のご苦労に対する感謝と、長寿を祝って母への贈物を兄弟で考えた。そのことを母にいうと、「この年になって何も欲しいものは無いし、祝い事をしてもらわなくてもいい」というので、著者は心の贈物と思って、幼少のころを回想しながら「わたしの海」を作った。この詩を母に見せると、母は「この通りだったね」と満足そうに頷いてくれたという。

 このように、本書の前半には、著者の育った豊饒な海の香りと、その折々の著者の回想が心温まる文章となって綴られている。

 しかし、社家に育ち戦中・戦後に多くの辛酸を嘗めた著者の実体験は、著者の大切な人間形成の上で、大きな糧となっていることは間違いない。例えば、本書中の「社家の子弟教育」(一四四頁)を見れば、「社家には社家の伝統があり、早くから神さまに近づけ、氏子に接する機会をつくって」子弟を躾け、青年期に悩むようなことがあっても、それを乗り切れるように、早くから「心の止まり木は与えておかなくてはならない」などの説得力ある論説が窺える。

 だが、本書の圧巻は、著者が神政連会長の任期中に直面した神道、神社界の抱える今日的問題に対する論評、或いは目下急務の具体的な時務策等である。例えば、著者は今日における急速な農村の過疎化、高齢化によって、所謂「限界集落」といわれる地方における神社の維持基盤の揺らぎつつある現状を深刻に指摘すると同時に、とくに日本の農耕、稲作は、単なる生産性や経済性の問題、環境問題としての視点からばかりでなく、「農は国の大本」として、わが民族性を培ってきた米の文化の歴史、伝統を守り、農耕神事の維持発展のための具体策について、著者は声を大にして強調している。(二一六頁―二一七頁)

 いま、著者の生涯を収縮した『わたしの海』一巻を読み終って、なお著者と対話しているような親しさを覚える。幼い日の思い出には、感情移入して聞き入り、青年期の心情にはそれなりのロマン豊かな詩に共感を覚え、またそれらを糧として一筋に神に奉仕され、その上神政連会長の重責を、永年にわたって果された。それらが卓抜の文章力で頁を満たし、どの項目にも、活々と今尚若い青年の気概が読み取れる。この一巻を百五歳の母堂が読まれたならば、いかほど悦ばれることか。この一巻は、様々な海波を越えられた母堂への何よりの贈物であり、宝であろう。

『小泉八雲と浦島物語(三)』
風呂鞏

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、熊本在住の一八九三年夏、長崎旅行へと出かけた。来日前、カリブ海に浮かぶ仏領西印度諸島の一つ、マルティ二―クで、ピエール・ロチのイラスト入り『お菊さん』を目にしたハーンにとっては、諏訪神社訪問を含めた長崎旅行こそ、心の内に秘めたロチ巡礼の旅であった。

洋式のベルビュー・ホテルに宿泊したが、居心地の悪さからわずか一日の滞在で帰路に着いた。船で三角へ渡り、ホテル「浦島屋」(注一)に立ち寄り休憩した。「浦島屋」という屋号と夏の青い海を横目に眺めながら人力車に揺られて熊本へ帰る途上、猛暑と疲労の中で思い浮かべたのが“浦島物語”である。作品の中では、ハーンの魂は明治二十六年の土用と一四〇〇年前の雄略帝の時代との間で彷徨うが、この「浦島物語」は来日第二作目『東の国から』所収の「夏の日の夢」第二章に登場した。

前回言及したB・H・チェンバレンのチリメン本『浦島』の英訳(小林永濯絵)は、子供に語りかける口調になっており、物語の始まりは、「むかしむかし、日本海の岸辺に浦島という名前の若い漁師が住んでいました。心の優しい少年で、魚を釣るのが上手でした。」となっている。そして、海辺で虐められる亀を助けるエピソ―ドはなく、浦島自身が捕まえて逃がす話になっている。

一方ハーンの英訳は、チェンバレンの英訳を参考にしたものではあるが、どちらかと言えば、小林永濯の美しい挿絵に魅了されて書いたとも思える。萬葉集、日本書記への言及もあり、先行の翻訳家であるアストン、チェンバレンの名を挙げて、参考にした旨を述べている。但し、出来上がった作品は全くハーン独自の「浦島物語」と言ってよい。冒頭の書き出しも次の如く、普通の昔話とは一風変わっている。

いまから、千四百十六年前のことです。浦島太郎という、一人の漁師の男(お)の子が、自分の小舟にのって、住の江の岸辺から、船出をしました。

此処には浦島物語に対する両者のアプローチの相違がはっきりと現れていて興味深い。

チェンバレンの書き出しは、常套的な昔話形式で「むかしむかし、・・・」となっているが、ハーンは、「いまから、千四百十六年前・・・」と、明確な限定を行ない、史実の記録を思わせる。当然『日本書記』にある、雄略天皇二十二(四七七)年に浦島子が蓬莱山へ出掛けたことを踏まえている。「住の江」という固有名詞も登場する。ハーンは出来るだけ虚構性を排除しようと心掛け、海や雲の色、釣り船の形が千四百年前と変わっていないことを強調する。浦島の生きていた時代とハーンの現に生きている時代とは時間的に連続している。ハーンは浦島の実在を確信していたのではあるまいか。

さて、竜宮の乙姫は、やがて戻ってくる浦島を迎えるために、御殿の中を美しく飾り付けて待っている。ところが、浦島は不思議な戸惑いの感情から、乙姫との約束を忘れ、玉手箱を開けてしまう。当然浦島は竜宮を再び見ることはできなくなったが、何の苦労なく息絶えたのである。更に人々は浦島を神格化して浦島明神に祀ってしまった。独り淋しく夫の帰りを待ちわびている乙姫を差し置いて、浦島の方にだけ同情が集まることにハーンは疑問を感じる。浦島伝説が今日まで生きて来た秘密の一つが“忘却”である、とハ―ンは考えるが、忘却は時としては破約と同義になり得るので、ハーンとしては、これに対して中々寛大になれないのである。

若し西洋で神の意思に背むけば、安楽死などではなく、生き長らえて、ギリシャ悲劇の主人公の如く、想像を絶する極限の悲痛を味わなくてはならない。西洋で育ったハーンにしてみれば、安楽往生はまさに言語道断だということになる。 

ハーンの疑問は続くが、人々が浦島の弱さを自分の弱さとして受け入れ憐れむのは、無数の人々の自己憐憫に違いないと思い至る。この段階で、浦島伝説の真実が「忘却」と「自己憐憫」にあると、ハーンは結論付けることが出来たのではなかろうか。

ハーン自身が東大の講義で言及しているが、西洋にも、ワシントン・アーヴィングの「リップ・ヴァン・ウィンクル」など「浦島物語」に似た話がある。主人公が山で楽しく過ごしている間に、アメリカが英国から独立して共和制になるというストーリだが、実はハーンが思い描いていたのは、アイルランドに伝わるケルト伝説「オシーンの物語」であろう。オシーンという青年が常若の国(海の彼方の楽園・異界)の女王ニーヴに連れられ、三年間夢のような暮らしをする。故郷が懐かしくなって、帰りたいと言うと、白馬を貸すので使うように言われ、足を絶対に地面に着けぬよう念をおされる。しかし、老人を助けようと思い、つい約束を破って大地に足を着けてしまう。すると、オシーンは突然老人になって、霧のように消えてしまったという話である。

ハーンにはギリシャ時代の、喜びに満ちた夢のような思い出がある。母親は失くさないようにと「お守り」を呉れた。しかし、いつの間にかそのお守りを何処かへ失くしたハーンは、故郷を遠く離れ、めっきり年を取っている自分に気づくのである。

時間との戦いに勝てない人間は、「忘却」によってしか、受けた傷を癒す方法がない。結局ハーンは、日本人のように浦島をいとおしむならば、自らの楽園喪失の傷も癒すことができる、と考えたのであろう。

楽園喪失の浦島を知ることで、ハーンは自分の失われた楽園を発見出来たのである。

(注一)浦島屋はハーンの作品では、和式旅館となっているが、実際は洋式ホテルであった。内部の造作・調度が大幅に和風を取り入れていたらしい。経営者の山下磋一郎は天草出身で山持ちの素封家。東京から妻に迎えた「根岸小町」のヨシは、“国貞描くところの蛾の娘、蝶の女”だとハーンを唸らせた美しい女将で、当時二十九歳前後であった。

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