住吉神社

月刊 「すみよし」

『映画「終戦のエンペラー」』
風呂鞏

二十年に一度の伊勢神宮式年遷宮、その「お白石持ち行事」ご奉仕(八月二十三日)について、前回の『すみよし』九月号に森脇宮司の詳細な報告がある。筆者も特別神領民として参加する栄に浴した(宮司撮影のスナップショットに筆者の姿もかすかに写っている)ので、本論の主旨からは外れるが、この場を借りて心からなる感謝の意を記しておきたい。

さて、山田太一脚本のNHKテレビドラマ『日本の面影』(ラフカディオ・ハーン、即ち、小泉八雲の後半生を描くもの)が、一九八四年に登場したことをご記憶の方もあろう。この長編ドラマは山田太一氏の最高傑作とも称されるほど実に見事な出来栄えであり、それ以降のハーン顕彰活動に与えた影響は計り知れない。

『日本の面影』以前にもハーンの松江時代や妻セツに焦点を当てた劇作が幾つか試みられ、シナリオが発表されたことはあった。またそれ以降も、ハーンの熊本時代を中心にしたもの、あるいはアメリカ陸軍准将・ボナー・フェラーズを中心に展開するストーリーが企画されたこともあった。しかし『日本の面影』を上回る作品は到底期待できそうもなく、それら全てが企画段階でそのままお蔵入り、となっていたのが実情である。

そうした中で、岡本嗣郎著『陛下をお救いなさいまし』(集英社)が出版された。副題に“河井道とボナー・フェラーズ”とある。河合道とは恵泉女学園の創立者である。終戦直後マッカーサー元帥から戦中の天皇の役割を極秘で調査するよう命じられたフェラーズ准将と河井道との交流を中心に、日本の運命が決定づけられて行く物語だ。

著者の岡本氏は二〇〇三年に他界した(五十七歳)。十年後に、この本は文庫本となり、『終戦のエンペラー』と改題した。元のタイトル“陛下をお救いなさいまし”は副題として残された。七月末から全国ロードショーの始まった映画『終戦のエンペラー』が、題名からもこの本を基に制作されたであろうことは容易に想像がつく。

一九四五(昭和二十)年八月三十日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサ―元帥がコーンパイプを銜えて厚木飛行場に降り立った。続いて幕僚たちがタラップを降りて来る。その中にマッカーサーが最も信頼する部下の一人、准将ボナー・フェラーズ(一八九六−一九七三)の姿もあった。彼は陸軍内でも知られた日本通で、太平洋戦争ではマッカーサーの軍事秘書として対日心理作戦の責任者を務めていたのである。

フェラーズはインディアナ州のアーラム大学で日本から留学していた渡辺ゆりと親しくなった。渡辺ゆりは河井道と津田梅子二人の推薦を受けて留学した才媛であった。フィリッピン駐留中の一九二二年、フェラーズは初めて来日した。この時、渡辺ゆりから日本を知るにはラフカディオ・ハーンをお読みなさい、と勧められた。その後、フェラーズはハーンの著作を次々と読み漁り、何年か後には全ての作品を読破したという。フェラーズが日本人の精神性への理解を深めたのはハーンを通してであると云っても過言ではない。

戦後来日したフェラーズは、先ず河井道と一色(旧姓渡辺)ゆりの安否を確かめた。また、ハーンの遺族も探し出した。東京雑司ヶ谷にある小泉八雲の墓にも詣で、軍服姿で霊前に芍薬の花を供え、墓前ではずっと脱帽を続けていた。一雄はGHQ本部に呼び出され、涙の再会を果たした。その時の感動を著書『父小泉八雲』の中で「日本はアメリカに戦争で負けた。科学で負けた。が今、私は人情でも氏に負けた」と述懐していることはよく知られている。フェラーズはかくも誠実で温かく、人情味のある人物であったのである。

映画『終戦のエンペラー』には、肝心のフェラーズと小泉家との交流が削除されるなど、改作やフィクションの部分もあるが、大部分は原作通りで事実に基づいている。

天皇をお助けするには司令部を説得する必要があり、陛下が真珠湾の奇襲を予めご存じなかったことを証明しなければならなかった。フェラーズから頼まれた河井は、親しくしていた元宮内次官・関屋貞三郎を訪ねた。劇中にも登場する関屋は宮内省の側近として昭和天皇に仕えた人物である。一九四五年のマッカーサーと昭和天皇の会見実現に向けて尽力した。実は、この関屋貞三郎がプロデューサー奈良橋陽子の祖父なのである。映画制作には奈良橋の息子・野村祐人も共同プロデューサーとして参加している。ある意味では、この映画は家族に伝わる話として、奈良橋が自分のルーツを探る物語ともなっているのである。

フェラーズが屡々日本の“友人”を訪ねたことが、記録に残っている。プロデューサーの奈良橋は、そこに情熱的な愛のエピソードがあるのでは、と想像した。映画では、河井道と渡辺ゆりを合せて一人の女性としたような、架空の人物“アヤ”が登場する。奈良橋の脳中には、戦後処理の問題に於て、国と国を繋ぐ力となるのは、政治や報道よりも個人の“心”である、との思いが大きかったからではあるまいか。

第二次大戦の終結後、マッカーサーを中心にGHQが行った日本の占領統治に関しては、まだ謎の部分が多い。が結局、天皇制の存続は戦争放棄条項と引き換えだった。マッカーサーは「(日本を)軍国主義から解放するという実験をしたい」と語っていた。フェラーズは河井道の助言をもとに、「天皇に関する覚書」を書いた。この覚書がマッカーサー―とアメリカ政府の天皇への態度を決定し、極東軍事裁判(東京裁判)で天皇は訴追を免れた。フェラーズはまさに「天皇を救った人」となったのである。

河井道はキリスト教主義の女学校を創立したが、両親や先祖に対する感謝、皇室への崇敬、愛国の情、孰れを取っても人後に落ちぬ大和心の持ち主であった。それは、父の時代まで世襲で伊勢神宮の神官を務める格式の高い家柄に育ったことにも由来する。広壮な邸内には、伊勢神宮を模した拝所があったという。キリスト教という立場を越え、天皇に対する国民の忠誠心に日本人の精神の在り処そのものを探る、という河井の伝統的保守主義の思想的基盤が、フェラーズを経て美事マッカーサ―の琴線に触れたのかも知れない。そうなると、河井道の進言「陛下をお救いなさいまし」が一段と輝きを増してくる。

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