住吉神社

月刊 「すみよし」

『過疎二題』
照沼好文

晴れた日には、わが家から南の方向に白鳥山が見え、山頂の白鳥神社が拝される。同社の神苑は、さくらの木で覆われ、毎年四月十日ごろお花見とともに、神楽が奉納された。既に十数年前になるが、いつも小学四、五年生位の子どもさんが舞殿の先端にしがみつくように、目を輝かせて見入っていた。とくに、八岐大蛇(やまたのおろち)退治の舞になると、太鼓、笛のはやしの調子が最高に盛りあがる。すると、子供さんは左右の手の人さし指、中指を、太鼓の撥(ばち)の代わりにして、太鼓にあわせて調子をとる。今その子どもさんは、どうしているだろうか。

当今は山間部では、周知のように過疎の地域が多い。働き手は都市部に流出し、地元には高齢の祖父母や、父母たちが伝来の田畑を守っている現状であろう。

偶々、先日「ある青年のごぼれ話[神楽]」という随想を読ませて頂いた。

子どもの頃、神社のお祭に行くと、父親が嬉しそうに、神楽を見ていたのを思い出しました。秋も深まり、夜もすっかり寒く感じる頃、太鼓の音が響く中を色とりどりの衣装を着て舞う姿は、今も印象に残っています。

妻のお兄ちゃんは、神楽の舞い手をしていて、年一度神社に奉納しています。(中略)今年は日どりが良く、初めて見に行くことが出来ました。小さな小さな神社の内に舞台があり、その周りには、地元の人たちが、思い思いの場所に座って神楽を見ています。舞台を所狭しと動き回れば、観客にぶつかってしまうほどです。しばらくして、ふと太鼓に目を向けると、義父(とう)さんが座っています。心なしか、太鼓の音が強く響きます。すると、奥くの方から義兄(にい)ちゃんが、大きく力強く舞い出て来ました。父と子の神楽の共演。代々受け継がれて行く、舞いと所作(しょさ)に、心あたたまる思いがしました。

と、「父子」共演の神楽という伝統文化の護持は、「心あたたまる」姿である。そして、若い方々の「ふるさと回帰のこころ」、ふるさとの伝統文化に参加することが多いに期待される時と思う。

嘗て、私は山間部の集落の崩壊、点々とした廃屋、茫々とした田畑の荒廃の情景を、目のまえにしたことがある。ただ湧水から流れる小川に泳いでいた小魚が清々しく思われた印象がある。

最近、神田三亀男(民俗学会理事)氏の高著『中国山地山間の棚田の民俗』という書物を拝見した。著者は九十一歳のご高齢をもって、中国山地山間の棚田を実地踏査され、資料を整理された書物なので迫力がある。とくに、私は著者が山間部における集落の崩壊して、廃屋となった情景を詠んだ短歌に、強い印象を覚えた。

露光る南天の実赤しこの廃家にも

標札あり“護国英霊の家”

―(大意)集落は崩壊して廃虚の現状であるが、ただ崩壊前の状態を同じく、白露は陽に輝いて南天の実は相変わらず赤く、そして廃屋には「護国英霊の家」の標札が残っていた。嘗て、出征兵士として戦場に赴き、尊い生命を祖国に捧げ、その英霊の家として顕彰した標札が残っていた。なんとも云いようのない空しさである。(照沼記)―

私は、この一首に会った時、心の傷みを覚えた。そして、過疎となったこの山間の落集のように、国の至る所から兵士として出征し、尊い生命を捧げた若者たちによって、今日の平和な日本がある、と思いを至さずにはおられなかった。後々まで「英霊」として崇め、その真心に応えて、より良い道義国家の建設へと努力しなければ、と改めて思った次第である。

 

『おれについてこい!』
風呂鞏

新聞の報道に拠ると、元NHKアナウンサー鈴木文弥氏が去る一月二十二日に他界した。体操の難易度を示す「ウルトラC」を定着させた御仁である。東京五輪では、日本がソ連を破った女子バレーボール最終戦のテレビ実況放送を担当し、マッチポイントを「金メダルポイント」と形容し、流行語になった。ご記憶の方もあろう。

第十八回オリンピック東京大会が開催されたのは、東海道新幹線が開業したのと同じ年、今から半世紀も前の一九六四年である。ローマ大会の後を受けて、アジア初のオリンピックであった。参加国は九十四ヶ国に達し、日本は十六個もの金メダルを獲得した。

東京オリンピックにおける女子バレーボール決勝戦の映像記録が残っていることが判明し、先頃Eテレで再放映があった。“東洋の魔女”が世界一となり、日本国中沸きに沸き、興奮の坩堝と化したあの瞬間を、多くの人が鈴木アナの名調子で追体験されたことだろう。その日本女子バレーチームを率いた名監督が“鬼の大松”と綽名された大松博文氏である。昭和三十八年に講談社から出版されたベストセラー『おれについてこい!』(副題:わたしの勝負根性)という著書があることは、付言する必要もなかろう。

“鬼の大松”というフレーズから連想するのは「スパルタ教育」である。スパルタはペロポネソス戦争(前四三一年から前四〇四年)でアテナイと争い、これを倒してギリシアの覇権を掌握した都市国家である。広辞苑によると、「スパルタ教育」とは、「幼少から厳しい鍛錬を施す厳格な教育。古代スパルタの勤倹・尚武を目指した教育法から採った呼称」とある。選手相手に次々とボールを叩きつける大松監督の、まるで“鬼のような”猛特訓には、軍隊での教練と同じ、非情な“スパルタ”をイメージするかも知れない。

しかし、国際試合に出場するため、思い切って九人制から六人制バレーへと切り替え、回転レシーブという日本の特技を産み出し、常勝のソ連を遂に破って世界一になった大松監督の偉業には、世間が考える“スパルタ”とは異質の根性と信念があったのである。

ニチボー貝塚のバレーチーム監督大松氏には、当然昼間の仕事がある。それに、監督自身、戦争中には南方でマラリアに罹り、いろいろの故障のほかに、坐骨神経痛も背負っていた。また練習中ボールが顔に当たり、紐で目が切れたため、右目は視力ゼロに近い状態であった。それでも練習中二十代の選手相手にボールを打つが、十人の選手が代わる代わる百打てば、四十代の監督は千回打つことになるのであった。大松監督に次の言葉がある。

わたしと選手たちはまったく一体で、わたしがやれといえば、全員どんなつらいこともやってくれる―。これは、ちょっと他に類のないチーム=ワークです。そうするためには、まず選手が味わう苦しみ以上に、私自身苦しんだことは、すでに書きましたが、すべて指導の立場にあるもの、また将来、どうゆう種類の職場や団体の指導者になるにしても、なにをなすべきかをはっきりつかんで、みずから先頭になってやらなければ、成功はしないものです。古い言葉でいえば、「率先垂範」ということです。

今年になり、大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将(高二男子生徒、当時十七歳)の自殺が公表されて以降、愛知県の全国高校駅伝強豪校での体罰問題、さらには全日本柔道女子トップ選手に対する暴力へと、不祥事が相次ぎ国内を揺るがしている。

表面化していない理不尽なケースは他にもありそうだが、これらは過去に幾多の栄光に輝いたスポーツ強豪校、日本を代表するトップチームの事例である。顧問や監督は栄光の重み、伝統を汚すことを許されない重責を背負っている。 しかし勝利至上主義という呪縛の中で因習に囚われ、自分の任務の中で何が最も大切かの認識が欠落していたのである。

桜宮高校の場合、自殺四日前の顧問宛手紙には悲痛な叫びが残されていたにも拘わらず、顧問の男性教諭は「キャプテンはこうあるべきだと強く指導してきた」と、寧ろ誇らかに語っている。愛知県の学校でも、顧問が続けた体罰によって転校生、退学生が出ていた一方で、生徒・父兄の一部には、勝利を齎す頼もしい先生だとの認識もあり、人気もあった。学校側もその教師を顧問として長く抱えておくことを希望し、教育委員会も黙認していたのである。ロンドン五輪柔道女子代表を含む十五名から告発された暴力行為やパワーハラスメント問題は、監督のみならず、強化担当スタッフやコーチの辞任にまで発展した。こうした温度差の中で、明治日本の教育について書かれた次の文を読むと、感動の涙を禁じ得ない。

近代日本における教育制度においては、教育はすべて最上の親切と温情をもって教えられている。教員はたんに教員であって、英語で“mastery”(支配権を持っている者)という意味でのマスターではない。自分の受け持ちの生徒に対して、教員は、兄のような関係になっている。生徒に自分の意志をむりやり押し付けようとしたり、頭から叱りつけたりするようなことは、けっしてない。生徒を非難するようなこともめったにしないし、罰を食わせるに到っては、ほとんどない。日本の教師で、生徒を殴る者はけっしてない。そんなことをしたら、その教師は、さっそく自分の地位を失ってしまうだろう。教師が腹というものをけっして立てないのは、もし腹をたてれば、それは生徒の目に、また同僚の批判の前に、自分を貶めるだけだからである。じっさい、日本の学校には、罰というものが何一つない。時によると、いたずら坊主が遊び時間中、校舎内にとどめておかれることはあるけれども、この軽い罰とても、教師が直接科するのではなくて、受け持ち教師の苦情を聞いて、校長が科するのである。(小泉八雲著『日本瞥見記』より)

勝利至上主義、偏った精神論、鉄拳での絶対服従教育には、人の命の尊さ、絆という人間関係、コミュニケーションの大切さが看過されている。大松監督の「率先垂範」や小泉八雲が感心した明治日本の教育はいみじくもそこを教えてくれている。

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