住吉神社

月刊 「すみよし」

『明治天皇と文化遺産』
照沼好文

先に、岩手県平泉町の奥州藤原三代の史跡が、世界文化遺産として登録された。去る七月十六日―十七日には、東日本大震災からの復興を願って、東北三県の夏祭り―「青森ねぶた」「秋田竿頭(かんとう)」などの民俗行事を集め、仙台市で「東北六魂(ろっこん)祭」が行われた。二日間で三十六万人の観客が集ったという。また、津波で大きな被害をうけた海浜地帯の漁業・水産業或ひは、農山村地帯の農・林業などの、逞しい産業復興の気運も伝わってくる。頼もしい限りである。

しかし、こうした復興の根源を考える時、明治九(一八七六)年の東北ご巡幸における明治天皇の御芳躅(ほうしょく)を、景仰(けいぎょう)申しあげずにはおられない。聖上はとくに、古来忠臣烈士として仰がれた人びとの顕彰、招魂場並びに殉国者の墳墓における慰霊・顕彰、教育・医療施設などの充実、河渠・開墾・製造業・牧畜等の事業振興、文化財(古文書類・建造物等)の保護・保存等々に力を注がれている。これらの他にも、数多くのご芳躅は拝されるが、とくにご巡幸中、各所において貴重な文化財を天覧し、それの保護・保存にご配慮されているので、そのことについて二.三事例を挙げてみよう。

例えば、福島の白河行在所では、県官が予め準備した古器・古書画類や白河産出の織物を天覧に供し、また後醍醐天皇のご綸旨、後花園天皇の口宣や旗・剣等を天覧に供したという。これらは、結城宗広の裔白川基広の所蔵であったが、聖上は「永世保存すべしとて、金二十五円を基広に」下賜された。(『明治天皇紀』巻三、六三〇頁)

また、宮城県松島において、瑞巌寺ご視察の折には、

天皇、瑞巌寺が千年前の遺基、殊に[伊達]政宗の修築を施しし名刹なるに、漸く荒廃せんとするを深く惜みたまふ、乃ち東京還幸の後金千円を賜ひ、宮城県令に令して永久保存の法を講ぜしめたまふ、(同上、六四八頁)

今回の大震災での被害は、庫裏と廊下などの漆喰(しっくい)壁の崩落、亀裂であったという。

さらに、岩手県の平泉を目指して、磐井をご出立された聖上は、高館(義経の旧館跡)、毛越(もうつ)寺の仏像、経巻等を天覧、次いで中尊寺にご臨幸して金色堂を天覧、次に経堂、藤原清衡(きよひら)等が寄進の紺紙金銀泥の一切経、黄紙宋版の一切経等を天覧、尋いで鎮守白山神社において、寺僧の伝える能楽、竹生島・開口の二番、終了後に堂内に陳列した金光明最勝王経曼荼羅、その他仏像、経巻、軍器等一山の汁宝を天覧あそばされた。(同上、六五五頁)これらはいずれも、国宝として重要文化財に指定されていたが、この度中尊寺・金色堂などが「平泉の世界文化遺産」として登録されるに至った。

ともあれ、明治初年明治天皇は、地勢交通等諸般に亘って整わない東北各地を、具にご踏査の上、国土・文化の振興をお考えになられた。思えば、文化財の保存或ひは、今日の世界文化遺産への扉は、既に明治天皇の御聖徳によって開かれた。聖上の「継往開来」―歴史を継承して、将来を開拓する―のご精神によるものである。

『八雲と震災との切れぬ縁、また一つ』
風呂鞏

約五ヶ月前に発生した東日本での大震災以降、原発事故を含めて、テレビ・ラジオ・新聞などから震災関係のニュースが消えたことは一日もない。筆者もここ数か月、津波を中心に震災関連のことを書き続けてきた。やや食傷気味となった頃かとも思うが、今回もまた同じ路線に留まっている。何卒ご辛抱の上、御付き合い下さると有難い。

明治二九年(一八九六)、明治三陸地震津波(M八・五、死者は二二、〇〇〇名)が発生した際、神戸在住のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、その悲惨な状況に心を痛めた。また、その四二年前の安政元年(一八五四)に紀州を襲った安政南海地震津波(M八・四)での濱口儀兵衛の活躍を知り、「生神様」という作品を書いた。それが昭和の時代になり、小学校国語教材「稲むらの火」として教室でも読まれた。既にご承知のことである。

かくのごとく、ハーンと震災との関連は生前極めて密なるものがあったが、没後もハーンと震災との関連はなかなか切れないのである。今回は、大正十二年(一九二三)に発生した“関東大震災”を中心に、ハーンを取り巻く震災関連の逸話、因縁を紹介する。

文科大学でハーンから学んだ学生の一人に、厨川白村(一八八〇−一九二三)がいる。『帝国文学』小泉八雲紀念号(一九〇四)の「先師ハーン先生を憶ふ」などで、ハーンへの敬慕の情とその学問について詳細な情報を提供した。 生前に左足切断という不運に見舞われた厨川は、関東大震災の際鎌倉の別荘にいて逃げ遅れ、津波の犠牲となっているのである。

米国海軍の主計官ミッチェル・C・マクドナルド(一八五三−一九二三)は、日本時代のハーンと親密な交友を続けた。ハーン没後も小泉家の遺稿並びに版権の管理人として対外的な連絡折衝に当たり、実の家族のように遺族の面倒をみた。まさに小泉家の恩人である。退役後は横浜グランドホテル社長に就任したが、一九二三年九月一日、関東大震災が発生。マクドナルドはホテルから一度は避難したものの、燃え上がるホテルの内部にアメリカ人女性が残されたらしいという噂を聞き、再び建物に戻り、そのまま帰らぬ人となった。享年七十一歳。遺体はその日のうちに米艦の乗組員たちの手で瓦礫の下から運び出され、そのまま米極東艦隊の軍艦に乗せられて本国に運ばれ、ワシントン郊外の国立アーリントン墓地に埋葬された。小泉家では、マクドナルド氏の供養を行い、浄院殿法興密英居士の戒名をもらい、先祖の諸霊とともに過去帳に記載し、今でも毎日お経をあげているという。

富山大学付属図書館内には、ハーンの和洋全蔵書二四三五冊を保管・展示する「ヘルン文庫」がある。ハーン関連図書、資料も収集しており、あの「稲むらの火」の絵本や戦前に使われていた紙芝居なども見ることが出来る。実はこの「ヘルン文庫」がなぜ松江ではなく、富山にあるのか、その理由を辿ると、やはり関東大震災に行き着くのである。

明治二三年(一八九〇)来日したハーンは、明治三七年(一九〇四)に病没した。ハーン亡き後、蔵書は小泉家で保存され研究者に利用されていた。大正十二年の関東大震災では多くの貴重な文献が焼失した。このことから小泉家では危惧を感じ、これらの蔵書を安全に保管できる大学へ一括譲渡したいという強い意向をもっていた。そうした時、『小泉八雲全集』の出版などでセツ夫人の助力をしていた、東大でのハーンの教え子・田部隆次氏が、実兄南日恒太郎氏に小泉家の意向を話した。南日氏は旧制富山高校(現富山大学)創設準備のため偶々上京していたのである。南日校長は、北前船の交易で資産家となっていた、富山市東岩瀬の馬場はる子刀自に購入資金の援助を懇請した。そして同校の開校(一九二四・六・一〇)を記念して、寄贈を受けることができたのである。

『英作文辞典』(有朋堂)の著者として高名な英学者入江祝衛氏を知る人もあろう。彼はハーンの教え子ではない。しかし非常なハーン崇拝家で、氏が編纂される字典類中にすら、何かハーンの事を記さねば気が済まない人であった。ハーンの命日(九月二六日)には晴雨に拘わらず、必ず墓参を忘れなかった。時には、夜中に墓参してハーンの著書を繙き、提灯の明かりで読むことに無上の興味を感じた人であった。或る秋の一夜、雑司ヶ谷のハーンの墓前に到り、例の如く懐中よりハーンの著書『骨董』を取り出し、提灯の明かりで読み始めた。頁はちょうど「幽霊滝」の話、一〇行程も読んだ時、急に風立って提灯の火が樹木のざわめきと共に揺れ動き、木の葉がパラパラと散り、襟首へポタッと露が落ちた瞬間、流石の氏も思わずゾッとして、慌てて本を懐中に、急ぎその場を去ったという伝聞もある。

その入江氏、ハーンの蔵書が愈々家から運び出された翌日、留守中の小泉家を訪問した。「今日出先で、今回先生ご遺愛の蔵書が富山高校へ譲渡されると承りましたが、事実でしょうか? 一度ご本に御暇乞いをさせて頂きたく参上いたしました」とのことに、留守の者が、昨日既に北星堂へ運ばれた由を告げると、顔色を変えて「アッ遅かった! では是から早速神田へ行ってみましょう。間に合えばよいが・・・」と大慌てで帰ったと謂う。北星堂でも社長の中土氏はこの時不在だったが、入江氏は本の積み出し日時を確かめて、帰宅された。

中土氏が上野駅で図書積み込みを指図中、「あなた中土さんですか? 私入江祝衛です。八雲先生の御蔵書が積み込まれたのはこの貨車ですか、別れを惜しませて頂きたく、駆けつけました」と云って、布呂敷より箱を出し、箱の中から香炉を取り出し、それを箱に載せ、香を燻らせ、図書に向かって合掌、黙祷、列車の出て行くのを、プラットフォームから涙ながらに見送ったとの逸話が残っている。

この興味深いエピソードは、ハーンの長男一雄氏が昭和二五年に小山書店から出版した『父小泉八雲』の中で紹介されている。今日読んでも涙を誘うほど感動的である。

かくもハーンと関東大震災との因縁は深い。暫し休まることのなかったハーンの霊だが、蔵書が「ヘルン文庫」に無事収まったことで、ひと時の安堵は得たことであろう。

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