お知らせ
月刊すみよし著者紹介
~照沼好文氏~
昭和三年茨城県生まれ。元水府明徳会彰考館副館長。
著書『人間吉田茂』等多数。昭和六一年「吉田茂賞」受賞。
~風呂 鞏氏~
早稲田大学大学院卒、比治山大学講師
月刊 「すみよし」
『郷土に生きる万葉の心』
照沼 好文
ふと思いつくままに、広島県下における『万葉集』中の歌にゆかりがある地を調べてみると、七ヵ所の故地のあることがわかった。そして、それらの土地に関係ある『万葉集』中の歌は三十二首であるという。(『広島県の万葉集』、ひろしま万葉会。平・四・四・一刊)
因みに、私は県西部、廿日市市大野の万葉の縁地「高庭の駅家(はゆまや)」跡に注目した。とくに、万葉歌人として有名な山上憶良(おくら)が、「筑前ノ国守ノ山ノ上億良敬(ツツ)しみて、『熊凝(クマゴリ)の為に、其志を述ぶる歌』に和(アハ)せたる歌。六首並びに序』(折口信夫博士『口訳万葉集』に拠る)と題して詠んだ歌と序が私の心を引いた。
まず、億良の序文を澤潟久孝博士の「口訳」によって紹介しよう(『万葉集注釈』巻第五所収)。
大伴ノ熊凝(くまごり)は、肥後の国益城郡の人である。年十八歳で、天平三年(七三一)六月十七日に相樸使の某の…従者となって、京都に向った。…不幸にも道中で病気にかかり、安芸の国佐伯郡の駅家で亡くなった。臨終の時、長歎息して云うに、伝え聞くところでは、…人間の命は滅し易く、水の泡のような命はいつまでもとどめるという事はむつかしい。それだからたくさんの聖人もはやく世を去り、多くの賢人もこの世に留ってはいない。まして凡愚卑賤の者がこの無常という事から逃れることが出来ようか。だだ我が年老いた両親、ともに揃って家にいて、自分の帰りを待つて日を過ごしているので、しぜん傷心のかなしみを抱く事であろう。待つている時に帰らないという事になつたら眼もつぶれる程に泣きかなしもう。ああ哀しいことよ、我が父上。ああ痛しい子とよ、我が母上。この自分の身が死んでゆくという事は気にかけない。ただ両親が生きてこの世に苦しむ事を悲しく思う。今日長く別れたならば、いつの世にまた相見る事が出来ようか。こう歎いて、六首の歌を作つて死んだ。(原歴史的仮名遣)
このように、億良は死に臨んだ少年に代って、その心をせつせつと綴った。そして、少年の心になり代って、億良は六首の和歌を詠んでいるが、六首のうちあとの二首を挙げてみよう。
890 出でて行きし日を数へつつけふけふと吾(あ)を待たすれむ父母らはも (一ニ云フ母がかなしさ)
―[口訳]出て行った日を数えつつ今日は今日はと自分を待つておられるであろう父や母らはマア。―(同上)
891 一世には再度(ふたたび)見えぬ父母をおきてや長く吾(あ)が別れなむ(一ニ云フあい別れなむ)
―[口訳]この一世には二度と逢えない父母をあとに残して長く吾は別れることであろうか。―
さきの序に出てくる「安芸の国佐伯郡の駅家」は、『大日本地名辞書』に拠れば、「今地御前と大野村の間に中山という峠あり、其辺に高鼻と字する地は、高庭(たかば)の遺号とす、或は生中山(おふのなかやま)と号す」とある。当時の高庭の駅家跡には、億良の歌「出でて行きし」を刻んだ歌碑が建っている。約千三百年を経た今日もなお、億良の序を読み、歌を誦する者の心に深い感動を与えると同時に、わが最古の歌集『万葉集』は、いまも新鮮な人間愛を、私たちに伝えてくれている。
従来の四月二十九日「みどりの」は、ことしから「昭和の日」と改められた。言うまでもなく、四月二十九日は、先帝昭和天皇のご誕生日で、戦前には「天長節」と称し、戦後には占領軍の勧告によって、旧制の祝祭日が廃止されると同時に、昭和二十三年制定の日本国憲法のもとに、新しい国民の祝日として、「天皇誕生日」と改称されたが、先帝のご崩御にともなって「みどりの日」となり、改めてこの度「昭和の日」と定まり、昭和天皇のご聖徳を偲ぶ日となった。
ところで、国民の祝日として新たに「昭和の日」が出発するのを機会に、ここで「昭和」という時代のもつ歴史的意味について考えてみよう。
幸いに、私の手元に、日本外交・政治史の権威者として、国際的にも著名な栗原健博士の高著『天皇―昭和史覚書―』(原書房・一九八五年刊)が置いてある。私は外交・政治史については全く門外漢であるにもかかわらず、栗原博士のご生前、直接博士から右の著書を頂戴した。
とくに、本書は昭和天皇のご動静を軸として、外交・政治に関する根本資料を駆使し、昭和史を構成しているが、本書の内容を総括した「結び」の項が注目される。この冒頭に、著者は、
太平洋戦争勃発にいたった歴史的原因については、内外両面にわたり広く究明すべきで、現在のところまで、一様に断定することは困難である。
と述べながらも、さきの大戦に突入する前後の経緯を、天皇のご動静を中心にして、国際政治史、国内の政治史の両面から考察されている。
まず、戦争勃発の歴史的原因を、戦争に突入前夜の情勢から、つぎのように述べている。
国際政治史的には、強大諸国家がそれぞれ権益の擁護また拡大或いは諸種のイズムを追って、帝国主義的な権力争奪を行ったことにあるように思われるし、一方日本の国内政治史的には、武断的急進勢力が国家の政治権力を掌握して、無分別な行動をとるにいたったことにあるようにみられる。
そして、右のような歴史の流れの中で、
この間、天皇は平和的合理主義的な御意図から、常に国際平和を念願され、一方武断的急進勢力の行過ぎを阻止されようと努力われてこられた。しかし、天皇の権威と御聡明をもってしても、国の内外を激しくさかまき流れる歴史の勢いを大きく転換させることは困難であった。
と、天皇のご動静を伝え、さらに戦争の進展、内外の情勢の変転、そして戦争終結に至る経緯に言及されている。とくに、戦争終結について、
この時天皇の終戦終結、平和再現の聖断が下ったのである。ナチス独逸は破滅的抗戦をとことんまで続けて敗北した。しかし、日本では、ナチスと同じ勢力を有し、なおかつ数百万の兵力をかかえていた軍部を中心とする抗戦派が、さしたる混乱をみず平穏裡に終戦をなし得た事は、なんとしても「天皇の権威」と「天皇の積極的な御努力」が決定的な力であったというべきであろう。…
このように、さきの大戦終結に際して、「天皇の権威」「天皇の積極的な御努力」によって、「平穏裡に終戦をなし得た」ことを、著者は力説強調され、昭和天皇のご聖旨と、「昭和」という時代から得た教訓を、こう結んだ。
私は冷厳な歴史の現実の姿をとおしてものを考えたい。そして昭和の戦乱の歴史は、断じて二度と再び繰り返してはならないと願ってやまない。この私の願いは、国内的には素より、国際間に対してもそうである。原爆や水爆の現われた現在、何人も戦争の惨禍、大戦の教訓を想い起さないものはないであろう。「万世の為に太平を開かむ」とされて、戦争終結の御勇断を下された天皇の御意図は、その意味でも忘れてはならないことだと思う。
『日本と愛蘭友好五十周年』
風呂鞏
欧州大陸の最西端、大西洋に浮かぶアイルランドは、ヨーロッパの「ふるさと」と呼ばれ、一年を通して豊かな緑に包まれた島である。総面積は北海道とほぼ同じ大きさである。
アイルランドの首都ダブリンの人口は百十万人余りで、広島市と同じ規模の人口である。日本とは九時間の時差がある。
三月十七日はアイルランドにとって特別な日、ナショナル・デーである。島中の町や村が聖パトリックの日を祝う。ダブリンの大パレードのほか、各地で様々な催しが行われ、人々はこぞってアイルランド島からヘビを退治した、この大聖人を讃える。
四世紀、ローマ帝国下にあったブリテン島(現在のイギリス)に生まれたパトリックは、十六歳の時、賊に誘拐され、「冬の国」と呼ばれたアイルランド島に連れ去られて奴隷となった。やがて、「布教せよ」との内なる声に導かれたパトリックは、丘に咲くシャムロック(緑の三つ葉)をキリスト教の三位一体に見立て、異教の族長の王を改宗させたと謂う。後にそれがアイルランドのシンボルとなった。この守護聖人を祝う祭りは、元々アイルランド系移民の多いアメリカで起こり、二十世紀に逆輸入されたのである。
余談だが、アイルランドでは、経済的に追い詰められた八十万人以上の人々が、十九世紀前半には職を求めてアメリカへ移民していたが、そこに輪をかけるように彼等を直撃したのが一八四五年に発生したジャガイモの胴枯れ病だった。仕事も食べる物もお金もなく、六年間で一〇〇万人もの人々が餓死し、一五〇万人が移民した。彼等にとって、「移民(immigration)」という言葉は、引き裂かれるような嘆きと絶望的な悲しみに彩られた、特別な響きを持っている。
さて今年二〇〇七年はアイルランド・日本外交関係樹立五十周年に当る。
去る三月十七日(土)、聖パトリックス・デーには、東京タワー(東京・港区)にて、十九時から二十三時まで「スペシャルライトアップナイト」が挙行された。アイルランドのシンボル色であるグリーンで、東京のシンボル・東京タワーが和やかに彩られた。
普段は黒ビール・ギネスの泡で表面に三つ葉のクローバーに似たシャムロック模様を作るアイリッシュ・パブでは、黒ビールをグリーンにして熱狂したり、アイルランドの三色国旗をアレンジした帽子を被り、この祝日を祝う人もいた。
パレードも行われた。セント・パトリックス・デイ・パレードを挙行する日本の都市は、すでに東京(第十六回)を筆頭に、横浜市(第四回)、名古屋市(第三回)、京都市(第五回)、仙台市(第二回)、伊勢市(第四回)などがある。以上に加えて、今年は新規に松江市と熊本市が仲間入りした。このように聖パトリックの祝日を祝う動きが、日本各地でも大変活発になってきているのである。
アイルランドは語りの国である。神話や寓話などに溢れている。ケルトの神話の中に、浦島太郎そっくりの話がある。フィンの息子オシーンが白い馬に乗った金髪の美しい乙女ニァヴに連れられてティル・ナ・ノグ(常若の国)と呼ばれる楽園に行く。そこには美しい宮殿があり、もはや歳をとることもなく、飢えや病いに苦しむこともない。常春の花々が咲き乱れ美しい鳥のさえずる中で、永遠の若さを保ちながら不老不死の生活を楽しむことが出来るのである。数日間そこで楽しいひと時を過ごしたオシーンは、愛する故郷に帰りたいと願う。いざ帰ってみると、ほんの数日間と思っていたのは、実際には数百年で、彼の知っている人は一人もいなくなっていた。路傍の磐石を除けて人を助けようとした時、彼は白馬から落ち、両足が地面についてしまった。すると忽ちの内に、彼はしわくちゃの老人に変わり果ててしまったのである。
神話以外にも両国には共通するものがある。最近は『リバーダンス』やケルティック・ウーマン、U2やエンヤなどの音楽を通じてアイルランドに興味を持つ人々が増えている。二〇〇六年のトリノにおける冬期オリンピックで金メダルを獲得した荒川静香選手は、アイルランドの女性ユニット、ケルティック・ウーマンが歌ったYou Raise Me Up (「君が励まして呉れるから」)に魅せられた一人だ。ケルティック・ウーマンの一人メイブ(Meav)は次のように語っている。
私達の音楽に“いやし”を感じて頂くことは光栄です。アイルランドと日本の音楽との間には何か共通するもの、類似点があります。それは自然を敬うということです。
明治政府が音楽教育を開始した時、スコットランドおよびアイルランドの民謡を導入したことはよく知られている。それ等には、日本的要素が多く含まれていたからである。当時の『小学唱歌集』には、「蛍(蛍のひかり)」「才女(アニ―・ローリー)」といったスコットランド民謡や「菊(庭の千草)」のようなアイルランド民謡が含まれている。
世に偉大な音楽とは、われわれの心の奥にある過去の神秘を、想像もつかぬほどの深さにかきたてる、心の嵐である。或いはまた、こう言ってもいいかも知れない。―偉大な音楽とは、それぞれ異なる楽器と声とが、人おのおの未生前の記憶に、おのがじし訴える、一つの偉大な魔術である、と。
これは、小泉八雲の作品「焼津」からの引用である。古来、森や山や川を大切にして敬ってきた日本人のアニミズムが醸し出す癒しの音、憩いの音に、ケルト音楽と通底する精神の古層があると言えるのではなかろうか。アイルランド・日本外交関係樹立五十周年を機に、アニミズムの復権を願うのは筆者一人ではあるまい。
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